輪島の未来を拓く人たち #2「新しいうるしのかたち」

こんにちは!文化の翻訳家の吉澤朋です。
「四十沢(あいざわ)木材工芸」の四十沢夫妻にご案内頂き、輪島と輪島塗の新しい地平線を拓く方たちを訪ねる「輪島の未来を拓く人たち」シリーズ。
エピソード2では、現在(いま)に生きる新しい漆器の在り方を探る二つの工房の取り組みに迫ります。

「輪島キリモト」代表の桐本泰一さん。輪島にて200年以上、木と漆の仕事を担ってきた桐本家。大学でプロダクトデザインを専攻された泰一さんが提案する普段使いの漆器は、多くのライフスタイル雑貨店や百貨店でも扱われているので、馴染みのある方も多いはず。
紙管ハウスの前で始まった取材
建築家の坂茂(ばんしげる)さん考案の「紙管ハウス」の前で始まった取材。坂さんは2024年の地震直後の2月に輪島を訪れたそうです。
なんでも、桐本さんはたくさんの漆器をお譲りいただいていて、その保管庫として新たに1台の紙管ハウスが導入されたばかりなのだとか。
「合計で4台ですね。そこに、これから棚を入れて、お譲りいただいた漆器を整理して保管しようというところなんですよ。」

2024年の震災。取り壊しとなった家や蔵、倉庫から救出された、たくさんの漆器。何もしなければ、ほとんどがそのまま捨てられてしまう運命にあるものを、なんとか救うことができないか──。そう動き出した「のとサポ(能登地震地域復興サポート)」から相談を受け、漆器のレスキューに奔走しています。

捨てられるはずだった漆器を、救い、生まれ変わらせる
「ウチも全壊していたから、始めはそれどころじゃなかったんです。それでも、半年くらい経ってから見にいってみたら、100年以上昔の漆器がたくさん。その数の多さにびっくりすると共に、感動もしてね。なんとかしなきゃならん、ということで、レスキューするとともに、生まれ変わらせる(=Reborn)、両方の取組をしています」
レスキューされた漆器は、傷みを直して研いで朱合漆を塗り重ねて、新たな表情を生み出して今の暮らしでより使いやすくしています。
活動が知られるようになり、今では輪島市役所の紹介で、漆器をお譲りいただく相談が携帯電話にかかってくることもある、と笑う桐本さん。
居場所をなくした漆器をきれいにして、区分けして、次にどう活かしていくか、と頭をひねります。

「御膳揃い」が語る、地域の文化
集まってくる漆器の中でも多いのが「御膳揃い」。
親族が集まる結婚式や葬式、通夜で提供する食事に使う食器とお膳は、必然的に数を揃える必要のあるものです。しかも、葬式用、お通夜用…と用途別に形式が違うとなれば、地域の文化と密接に結びついて発展した漆の世界が偲ばれます。

特に明治35年頃の御膳が見つかることが多いとのこと。収納された箱の蓋に書いてあるので、明白です。

昭和40年頃まで作られていたという御膳揃い。今はこうしてケースの中にレスキューされた状態で収まり、生まれ変わりの時を待ちます。

これ、何の器でしょう?ヒントは旅館の和食朝ごはんに必ずあるもの。(答:海苔を入れる器です。)いま、改めてどんな形で活かせるか…?と考えます。

「こんな風に当時の新聞とか出てくるとね、読んでしまうから作業も進まないんですよ。」
100年前の漆器を見つめて、確信したこと
地震と水害がなければ決して出合うことのなかった、大量の御膳揃い。100年以上前の輪島塗をつぶさに見つめ、確信につながったことがあるそうです。
「今の輪島塗の技術は、堅固さに関しては決して負けていないですね。むしろ今が一番かもしれません」
漆器産業自体が右肩下がりの中、残ってきた現在の輪島塗の技術は高い、と桐本さんは自負します。

全壊した自宅、拠点になった漆のスタジオ・ショップ
「漆のスタジオ・ショップ」も案内してもらいました。2024年の地震の時には自宅が全壊してしまったため、急遽生活の拠点となったスペース。
長男ご夫婦も身を寄せ、3か月の間「4人と犬のぽん太一匹暮らし」だったそう。

漆のスタジオ・ショップでは、輪島塗の伝統的な技法の説明など、日本語、英語、中国語にて対応しています。


「同じ本堅地から、違う表情を」
レスキューされた器。傷みを直して全体を研いでから朱合い(しゅあい)漆を施すと「透き溜め(すきだめ)」という、奥行き深い濃淡がなんとも魅力的な仕上がりになります。
「これは、輪島塗の定義である地の粉を使った本堅地(ほんかたじ)仕上げです。本堅地で丈夫で均一に仕上げた表面に蒔絵や沈金を施して付加価値を上げていたのが従来の輪島塗ですが、それとは違って表面の漆の動きが模様となる仕上げですね。」
仕上がりの模様に違いがおこります。輪島でもあまり作られてこなかった仕上げです。
「でもね、この幅広い模様がいい感じですね、というお客さんもいるし、洋食で使っても合うんですよ。僕は始めに5つくらいお見せして、『どれがお好きですか?お選びください』って聞いちゃうんです。ある意味一点ものですから。ご説明、勧め方次第だと思うんですよ。」

180億円から18億円へ。それでも踏ん張る
漆のスタジオ・ショップでは漆の器の他にも、建築の内装として活用できる漆など、新たな取り組みを数々提案しています。
「そうすることで職人にも仕事が渡せて、そこに循環が生まれます。」
輪島塗の売り上げは、平成3年には180億円だったのが、令和7年には18億円と10分の1に減っています。数字だけ見ると厳しい状況の中、輪島キリモトはなんとか踏ん張っている状態なのだそう。
「そもそも、こういうリボーン(再生)に耐えうる漆器を江戸時代からきちんと作ってくれてたから、レスキュープロジェクトが成り立つんですよね。」
輪島のかつての職人の持つ高い技術を、今の職人の技術が受け止めているのです。震災がなかったら、気づかなかったかもしれない、綿々と受け継がれてきたもの。
「そろそろ落ち着くか、と思った頃にまた水害があって振り出しに戻ったけどね。」
泣き面に蜂、とは…。いえ、なんだかその言葉すら軽く聞こえます。
「でももう1回。これから」
と前を向いた桐本さんの眼が、力強く光っていました。

この後も来客があってお忙しいなか、ありがとうございました!
森の中の工房へ──赤木明登うるし工房
一行は次の取材先、「赤木明登うるし工房」へ向かいます。
景色のはるか遠くにあった、広葉樹と針葉樹の混ざり合う緑のグラデーションがみるみる近づき、いつの間にか辺り一面、緑の木々に包まれていました。

車を降り、水たまりを避けるように山道を歩いて進んでいくと、大きな犬が嬉しそうに駆け出して来て、四十沢夫妻にじゃれています。森の中に現れた三角屋根の木造の家を背景に、数台のお洒落な車が停まっている様子が画になります。

誰も弟子にとってくれなかった
コットンのスカートをはいた赤木智子さんが、笑顔で迎えてくれました。

都内で編集者の仕事をしていた夫の明登さんが漆の世界に惹かれたことから、共に輪島に移住したのは30年以上前のこと。
まずは師匠探しに苦労したそうです。
「当時はまだバブルの頃で、仕事はたくさんあったんです。でも漆職人に弟子入りするのは中学か高校を卒業してすぐ…という世界に、当時すでに27歳の、脱サラした子連れの弟子なんて、面倒くさいですよね(笑)。誰もとってくれなかったんです」
困り果てた赤木さん夫妻に、地元のお寺のご住職が手を差し伸べます。門徒である漆下地職人、岡本進さんと引き合わせてくれたのです。
「奥様からはね、『絶対に断ってくるのよ』と送り出されたらしいんです」と笑いながら智子さん。
でも赤木さんも必死です。
「『お金もいらないですから、どうか弟子入りさせて下さい』って二人で頭を下げたんです。そしたら、隣に座っていた当時1〜2歳の長女も、ちょこんと頭を下げたんですよ。」
難攻不落の城の重い扉が開いて、師と弟子が出会った瞬間でした。
岡本さんの元で5年間の修行を経て、独立。
「今はもう亡くなってしまったんですけど、本当によくしてくださいました。」
「今の生活で使いたい漆を」
それ以来、漆の世界に二人三脚で向き合ってきました。「今の生活で使いたい漆を」と常に考えています。
「東京で暮らしていた頃、自分たちが使いたいと思っていたような漆の器を作りたいと。それを突き詰めていったら、展示会でもそういう器の需要があって、手ごたえがあったんです。」
辿り着いたものは「無地」で「マット」な仕上がりが多いそう。それは、「御膳」のように、ハレの席で大切にされる輪島塗とは少し違う姿かもしれません。
「近代の輪島塗より更にさかのぼって、江戸時代に作られていたものを写したりしています」

工房を覗かせてもらいました
森に向かって大きく窓をとった、気持ちの良い空間。木地に漆を塗り重ねる工程です。木地はもちろん、四十沢木材工芸から仕入れたもの。



案内してくださった北原さん。
輪島塗の堅固さの秘密は、能登半島の海底に埋まっていた地層から採取される珪藻土にあります。
「地の粉」とも呼ばれるその多孔質の土を漆に混ぜ込み、木地の肉付けをすることで、丈夫になるだけでなく、含まれた空気が保温の役目をはたします。冷たいものは冷たいまま、温かいものは温かいまま楽しめるという利点があるのです。


各工程用に用意された木製の刷毛は、エピソード1の蔵田満さん作。
下地に歪みがあれば、上塗りにも響く
一辺地と呼ばれる、木地に施す最初の下地から、より仕上げに近い四辺地まで塗ります。表面に近づくにつれ、より滑らかに仕上げていきます。
下地に歪みがあれば、上塗りにも響くもの。
「だいたい文句を言われるのは最初の下地の作業です」と笑う北原さん。
「木地が悪い!と木地屋も文句を言われますよ」と四十沢夫妻も畳みかけます。
輪島塗は分業の世界。腕によりをかけて担当の工程をこなし、次の工程がスムーズに進むのが職人冥利…といったところでしょうか。

漆はもともとベージュに近い色で、そこに弁柄などの顔料や鉄分を混ぜて、赤や黒などの色を出します。
赤木工房で使われているものに、「松煙(しょうえん)漆」というものがあります。松脂を燃やして採った煤を混ぜ込んだもので、江戸時代にもよく使われていたそうですが、なかなか手に入らないこと、また粘りからくる塗りにくさもあって、今ではあまり使われなくなりました。でも工房ではそのマットな色味を好み、よく使うのだそう。

0.5ミリの気持ちで
隣の部屋では、「古銀」仕上げのお皿の制作中。お皿の表面に張られた銀箔を硫化させることで、鈍い灰色のような、いぶし銀のような渋みのある仕上げになります。
漆塗りを施した表面に、銀箔を隙間なく、かといって無駄にすることもないよう貼っていきます。赤木さんから銀箔を重ねる幅は0.5ミリに、との指示があったとのこと。


ひぇーと思いましたが、きっと「それくらいの気持ちで!」と鼓舞するメッセージなのでしょう。
緊張感を求められる仕事でありながらも、漆が好き、という共通した気持ちが工房で働く人全員から伝わってきます。

「職人のイメージも変えたいんです」
「職人のイメージも変えたいんです。今若い人たちが弟子入りしたいってここに来てくれるのは、私たち自身が自由で豊かな暮らしを楽しんでいるからだと思うんです。豊かって言うのは、一緒に山菜を採りに山に入ったり、美味しいご飯を皆で食べたり。乗りたい車にも乗りたいじゃないですか。表にあった車はローンで買ったけれど、こういう生活もできる、と見せていきたいんですよね」と智子さん。

確かに、こんな景色に囲まれる生活は、豊かです。
「わー素敵」と、つい手がのびる器に
さて、これだけの工程を経てできあがる漆は、どうしても値段が張りがち。赤木さんの工房では、工房の器であればいつでも無料でお直しを承っています。
でも──。
「一生使えますよ、とか、抗菌効果あります、とか、言葉で一生懸命説明しなくても、『わー素敵』って、つい手がのびるような魅力的な器にしたいですよね」と智子さん。
そしてまずは触れて、使って、その良さを実感してもらうこと。
「漆のスプーンでアイスを食べると、もうステンレススプーンは使えない」とは、智子さんも私も実感するところ。
その体験を提供するために始めたのが、工房の器で楽しむオーベルジュの取り組みです。地震の影響で移転を強いられ、現在は「茶寮 杣径(そまみち)」として、季節の和食を提供しています。



旬が、そのまま器の柄になる
訪れたのは4月の終わりころ。
「この頃は旬があっという間に来ては去っていくんですが、今日は色々な山菜がちょうど食べ頃です」とはシェフの北崎さん。旬の素材の味わいを引き出す料理にファンの多い北崎さんのこと。ワクワクも膨らみます。

蕨、たらの芽、フキノトウ、コシアブラ、行者ニンニク、山椒の香りがふわりと漂うタケノコなど、旬の山菜。食材に寄り添うのは、去り行く冬を少しだけ惜しむ、酒かすの汁。
「行者ニンニクと卵で、こんな奥深い味になるなんて…」
「フキノトウの香りと酒かすって、合うんだ…。ん、いまの楽しい食感はなんだったのかな?」
思わず黙々と、目の前の一口に集中してしまいました。新鮮なほどに、自然と開かれていく感覚。

「赤木さんの器は基本無地ですよね。そこに柄を描くつもりで、季節の食材を盛りつけています。旬の食材が、そのまま器の柄になるんですね。」
全国にいる赤木さんのファンが輪島を訪れた時には、ここ杣径で、赤木さんの器で輪島の旬の食材を味わい、赤木工房の世界観に浸ることができる、という訳です。
エピソード2では、「輪島キリモト」の桐本泰一さん、赤木工房の赤木智子さんからお話を伺い、漆を中心とする暮らしや生業という、大きな循環に思いを馳せました。
エピソード3では、いよいよ漆器という枠を飛び越えて、(きっと)意外な輪島の景色と、それを伝える素敵な方々を紹介します。
輪島キリモト / 輪島工房 / 漆のスタジオ 茶寮 杣径
〒928-0011 石川県輪島市杉平町大百苅70番5-8(数台駐車可)
WEBサイト:http://kirimoto.net/
インスタグラム:https://www.instagram.com/wajimakirimoto/
〒927-2166 石川県輪島市門前町鹿磯1-17
WEBサイト:https://somamichi.jp/
インスタグラム:https://www.instagram.com/_somamichi/
シリーズ「輪島の未来を拓く人たち」
(text:吉澤朋、photo:市岡祐次郎、篠原豪太)
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