若手が集まる気鋭の宮大工集団!伝統工芸のしごとを学ぶ「HELLO! KOUGEI 京都ものづくり見学プログラム」で匠弘堂へ

2023年の12月5日・12月6日・12月8日の3日間にかけて「HELLO! KOUGEI 京都ものづくり見学プログラム」が京都で開催されました。

「HELLO! KOUGEI 京都ものづくり見学プログラム」とは、伝統産業に興味のある学生、若者が実際の現場へ行き、リアルな職人仕事や取り組みなどを身近で学ぶことができる企画。今回は、西陣織、おりん製造、そして宮大工の3つの工房や現場をおとずれました。

このイベントを通して直接職人から仕事を学ぶことで、将来の仕事の参考にしてもらいたいと企画されましたが、志を持った多くの方から予想を上回る応募が。

見学のあとは現場の方々も交えたワークショップもおこない、若者ならではの意見や考えに

伝統産業に携わる現場もあたらしい発見が見つかる、相互に学び合うことができるプログラムになりました。

しゃかいか!は本プログラムの運営サポートとして参加しました。このレポートでは、プログラム最終日におうかがいした宮大工の職人集団・匠弘堂さんでの学びをお伝えします。

 

▼1日目、2日目の記事はこちら

京都の伝統産業の工房といえば、たとえば西陣織の産地である西陣や、清水焼の産地である清水五条周辺など、京都の街なかを想像する人が多いかもしれません。

12月8日、冬晴れのなか今回やってきたのは京都市左京区・静原。街なかから遠く離れ、貴船神社や鞍馬寺に近い京都の山エリアです。

こちらに、社寺建築の新築や修理をおこなう宮大工集団、匠弘堂があります。

バスで山道を走りやってきました。

今回の参加者は留学生も複数。日本の社寺建築の技術が、海外の若者にも注目されているというのはとても嬉しくなります。

「宮大工の仕事」と大きく掲げられた看板からも、仕事への矜持が伝わります。

「広い!」「大きい!」と作業場のサイズにみなさん驚いていましたが、宮大工の作業場としてはこれでも小さい方なのだそう。

抜けのある作業場には、所狭しと木材や工具が並んでいました。工事工程の状況によってはここで宮大工さんたちが加工作業をしているそうなのですが、うかがった日はほとんどの宮大工さんたちは現場のほうへ行ってたので不在でした。

依頼を受ければ、全国各地の現場に向かっていくのだそう。

「どうもどうも!」と朗らかに登場したのが匠弘堂の代表である横川総一郎さん。

「みんな出払っててすみませんね、じゃあ案内していきますね!」と明るくテキパキした口調でナビゲートしてくれました。

平均年齢33歳!若い社員が高い品質を生み出す革新的なチーム

工房の一角に置いてあったのは、実際に京都の寺院で使われていた解体材。お寺からの依頼で、彫刻された価値ある古材をうまく活用して、新しい建物に再利用されるのだとか。

「まあこのへんの部材はけっこう最近のモノです。明治あたりかと思います。」と言う横川さんに「明治が最近……」「150年くらい経ってるのに?」と、見学者たちが軽くザワザワ。

日本最古の木造建築である法隆寺の金堂や五重塔が建立から1300年以上ということを考えると、明治はごく最近。伝統産業の現場では、しばしば時間感覚が変わることがあります。

伝統産業といえば、高齢化やなり手不足がよく課題として挙げられますが、宮大工の匠弘堂はそうではありません。

「代表の僕が、2024年に60歳になります。うちのベテランの職人がひとり82歳なんですが、それでも匠弘堂は平均年齢が33歳。もしそのベテラン職人さんが引退されたら、平均年齢は27歳まで下がります。匠弘堂はものすごく若いんです」と横川さん。

しかも、匠弘堂で働く全員が正社員。これもまた、建設業界においては大変珍しいことだと横川さんは続けます。

「一般建築大工はフリーランスの方も多いため、ひとつの現場に各方面から大工が集まって、完了すると解散してまた別の現場に散っていくというケースも多いんです。そうすると、どうしても個人の品質や技術にばらつきが出てきてしまう。匠弘堂では全員『正社員』として、長期にわたって人材と技術力を育むことで、確実に若手に技術継承をしています」。

社寺建築の寿命は果てしなく長いでしょ。僕たちがいま未来の若手を積極的に育てていかないと、未来に修理できる人がいなくなってしまう。僕は匠弘堂を立ち上げる時、『ひとりでも多くの若者を一人前の宮大工にしよう』という気持ちがありました」。

 

若手を育て、ひいてはそれが日本の社寺建築の未来を守ることに繋がる……。匠弘堂は、若手の採用を積極的におこなっています。

じつは宮大工業界は、ネットでの広報活動をおこなっていないところが多く、宮大工になりたいと思っても、窓口に繋がるのが非常に難しいという現状があります。匠弘堂は宮大工の業界ではじめてWebサイトを作った会社でInstagram等の各種SNSも積極的に運用。地道な広報活動もあって、若手が集まる会社となったのです。

「社寺建築の依頼は一度きりで終わることは少ないんです。長年にわたって修理を依頼されることも多い。若手の宮大工が活躍する会社であることで、ありがたいことにお客様が安心して仕事を依頼してくださるようになりました。『何十年先でも頼れそうな、元気な若手職人が大勢いる会社のほうが安心感がある』とうれしいお声かけもいただいていて」。

匠弘堂が大切にしている仕事の流儀は、師匠の教えを基にして常に先輩たちから若者へ伝え続けていますと横川さん。

ピッタリはまると気持ち良すぎる!緻密でエコな木組みの技術

工房見学の後は、2階にある会議室に移動しました。ここでは、宮大工がつちかってきた木組みの技術について学んだほか、革新的な取り組みをおこなう匠弘堂の歴史や想いについてうかがいました。

座学のおともに横川さんが用意してくれた、京都名物の阿闍梨餅!

八つ橋もおいしいけど、京都の地元民には阿闍梨餅のほうが圧倒的に人気な気がします。

宮大工の技術を表すもので代表的なのが「継ぎ手・仕口」。釘を1本も使わず、木材に刻まれた凹凸をガッチリと組み合わせることで、部材同士を互いに引き寄せたり、必要な部材を長く延長することができるというものです。

すっぽり&ぴったりはまるパーツの気持ちよさに、思わずみんなニンマリ。

「日本の社寺建築の技術は、鎌倉時代にピークを迎えたと言われています。そこから平和な江戸時代には少しづつ技術力が落ちていって、明治維新後の廃仏毀釈運動なんかで、技術継承の危機が訪れました。当時の文化人・建築家たちは『このままじゃあかんやろ』ってことで、日本の文化を見直す風潮のなかで技術力をすこし持ち直してきました。でも、やっぱり社寺建築における最高点は鎌倉時代だと思うと、すごいことですよね。基本的な木組みや規矩術の技術も当時からそのまま受け継がれています」と横川さん。

継ぎ手・仕口ってメリットがたくさんあるんです」と横川さんは話します。

「まずがっちり継げば部材を延長できるので、より大きな建物をつくることができるということ。もうひとつは、仮にある部材が古くなったり壊れたりしても、悪い箇所だけ切り取って継ぎ手技術で修理すればずっと使えるということ。あとは結局、木だけでつくられているんで、解体が容易なんですよね」。

「木のを打ち込んで固定しておいて、を抜いたら簡単に解体できる。修理もしやすいですし、解体して再利用できるものはするので、ゴミが少ないんです。現代的な工法の建築物は、いろんな材料を複合的に組み合わせて作られた建材に、さらに金属部品や接着剤がくっついていて再利用がしにくい。さかんに『SDGs』だと言われている昨今ですが、そんな言葉が生まれる前から、宮大工たちはエコを当たり前として木材を大切に仕事をしてきたわけです」。

継ぎ手・仕口のサンプルに加えて、原始的な大工道具である釿(ちょうな)や、糸に墨を染み込ませてまっすぐに線を引くための墨壺(すみつぼ)なども触らせてもらいました。

釿で木材を削りとることを「はつる」というのですが、古に確立したこの技法はいまでも宮大工の世界では現役。匠弘堂の若手たちは、釿で大きな木材をはつる練習に、日々取り組んでいるそうです。

大手家電メーカーから大工の道へ。異色の経歴だから匠弘堂ができた

積極的な若手の登用や、理念経営のチーム戦と広報を重点に掲げるなど、新しいスタイルの宮大工集団をつくりあげてきた横川さん。

伝統産業の企業は100年以上の老舗も多いなか、匠弘堂はまだ創業から20年と少しの若手会社です。そもそも横川さん自身が、一部上場の大手家電メーカー勤務から宮大工の世界にジョブチェンジした異色の経歴の持ち主。

「僕は大学時代に機械工学を学んで、卒業後は大手家電メーカーに就職しました。家庭用の冷蔵庫を設計する部門で働いていたんですが、当時は『24時間戦えますか』なんて広告が流行っていた時代で。ものすごく忙しかったのを覚えてます。でも忙しいのに急に仕事が面白くなくなっちゃったんですよ……。それで、会社をやめたんです」。

「当時はバブルの直後で稼ぎもものすごくあったし、結婚もしてたんですけどね」と横川さん。

その後、建築設計業界に転職をした横川さんですが、お寺の設計監理を任された際に、横川さんの師匠となる岡本弘(故人)さんという宮大工棟梁と現場で出会います。

「僕は師匠の岡本棟梁に出会ったことで、『宮大工さんたちをサポートする仕事』を目指したんです。日本の木造建築業界は、設計事務所や大学の偉い先生方が守ってきた業界ではなくて、現場をつくってきた宮大工自体が技術でもって守ってきた歴史であり文化なんだなって。それで当時、岡本棟梁がいらっしゃった工務店に転職したんです」。

「そしたらなんと工務店が数か月後に倒産して!」という横川さんの衝撃エピソードに、驚きの表情の参加者たち……。

波乱ののち、横川さんを代表取締役に、岡本棟梁に師事していた一番弟子の有馬さんを専務取締役に、相談役に岡本さんに、という3人体制で匠弘堂を立ち上げたのだそう。

匠弘堂の社名は、岡本棟梁の『弘』という名前から一文字もらってつけたんだとか。

「岡本棟梁は2015年に亡くなってしまったんですが、『岡本棟梁から受け継いだ、伝統的な木造建築技術を駆使して、高い品質と大きな感動を届け、日本文化の伝承と発展に貢献します。宮大工として生きる』これが企業理念になっています」と横川さん。

「岡本棟梁はとっても厳しい人だったんですが、優しさと人間臭さも持ち合わせていた方でした。若手の育成に取り組むにあたっても『小手先の技術じゃなくて、まず人間として真っ当な道を教えなあかんよ。真っ当な道さえ教えたら、若いもんたちは勝手にいい仕事するんやで』ってよく言ってたんです。宮大工として生きていくには、品質力や技術力も教えていきますが、やっぱり大事なのはそれを正しく使おうとする人間力ですね」。

師匠からの教えを受けつぎ、会社全体で宮大工のこと、日本の建築の未来のことを見ている横川さん。独自性の高い社風は、横川さん自身のユニークなキャリアと、尊敬できるすてきな師匠筋に巡りあえたからこそなのだなと感じました。

「みなさん若い方なので、うちのいちばんの若手も紹介します」と、登場したのは2023年春に入社した渡部さん。

東京大学の大学院で木質材について研究し、「手を動かす職に就きたい」と進路を模索していたところ、Web検索でいちばんいちばん最初に出てきたのが匠弘堂だったとか。当時はコロナ禍の真っ只中。匠弘堂は宮大工業界ではまだまだレアケースなオンライン会社説明会をおこなっていたそうです。

「宮大工の現場はそもそも自社のHPすらないところも多いなか、オンラインで採用活動をしていて、新しい取り組みをしている会社なんだなって。もともと大工の家系ではないですし、木質学を研究していたというちょっとユニークなバックグラウンドも受け入れてくれるんじゃないかなと」。

「働いてみたらすごくいい職場で。社長や棟梁をはじめ、皆さんすごく話しやすくて、相談事もしやすいし、教えてくれるんですよね。でも、教えてくれるだけじゃなくて『やってみろ』って見守ってもくれる。まだまだ学ぶことが多いんですが、宮大工という仕事の楽しさを、僕自身学びながら『こういう仕事もあるんだよ』って皆さんに知ってもらえたら」と渡部さん。

プログラム参加者と変わらない年齢の若者による等身大の言葉に、みなさん感銘を受けていました。

伝統工法や宮大工の仕事の魅力を共有するワークショップ

見学や横川さん、渡部さんのお話を聞いたあとは、学びや発見を共有するワークショップの時間。

どのグループも、手を止めることなくポストイットに書き込んでいきます。ワークショップでは、各チーム内でそれぞれ自分たちの学びや発見を共有し、その後、チーム全体の発表を参加者全体におこないました。

どのチームでも挙がっていたのが、伝統的な建築のエコロジカルさについて。木組みを実際に触らせてもらったからこそ直に感じることができました。

「パーツを変えていけば、それこそ何百年ともつ木材をずっと使い続けることができる。解体した木材を違う社寺建築に転用できるというのも驚きだった」。「木しか使っていないのに、あの強度はすごい!林業の衰退も問題なので、もっと伝統工法を見直すべきなのかも。ただ、お金がかかるのかなあ……」といった感想や意見が。

匠弘堂の仕事のスタイルについても感銘を受けたという発表もありました。

「大工の現場って厳しくてキツいイメージがあったけど、匠弘堂は厳しいだけじゃなくて楽しんで仕事をしている人が多いんだなあって」「若い人が楽しそうにカンナをかけている映像が、ものすごく心に残った」などの声が。

「大工のように肉体労働はキツい仕事だって敬遠されがちだけど、そもそもデスクワークの方がキツい人だっている。身体を動かす仕事が向いてる人もいるから、肉体労働の価値がもっと上がればいいのに」という、世のビジネスイメージを問う意見もありました。

正直な意見がたくさんの発表に、横川さんも渡部さんも真剣な表情で聞き入っていました。

なにより、古風なイメージだった宮大工の職人仕事でしたが、匠弘堂の採用方法や、チーム全体で若手の育成や会社自体を育てていくスタイルを学び「こんな会社があるんだ!」と知れたことが、いちばんの発見なのかもしれません。

人生をかけたい「毎日たのしい仕事」にはきっと巡り合える

「匠弘堂は、すごくオープンな会社だと思います。若者に丁稚奉公みたいなことはさせないですし、教えることは全て教えます。でも、じゃあうちは厳しくないかって言うと、当然そんなことはなくて」と表情を引き締めて横川さんは話します。

「やっぱり刃物も扱うし、油断すれば命に関わる怪我の危険もある。だから厳しいところはあります。ただ、厳しいことと楽しいことは同居するんです。僕は仕事が楽しくて仕方ない。休みの日も、仕事の延長で『せっかくここ来たからあのお寺行こうかな』って建築物をみにいったりね。長い人生の大部分を働いて過ごすわけなので、月曜日から日曜日まで、なんやったらもう365日全部楽しんでやろうって」。

「宮大工って楽しいですよ!自分の命と引き換えにものをつくってるって感じがしててね、手がけたものが自分の子どもみたいに愛おしい。しかも100年後200年後の宮大工たちが笑うような仕事は絶対にできないでしょ」。

「日本の義務教育って『平等』を主軸に教えるけど、みんなそれぞれ個性があって、能力は全く違うはずなんですよね。そのためにはね、不得意なことを仕事にしちゃ絶対だめです。僕は試用期間で去っていく若い人みんなに『仕事にできるほど得意じゃないことがわかってよかったやん。きっとバッチリはまる仕事があるよ』って送り出します」。

僕はみなさんに楽しめる仕事に就いてほしいんです。厳しさのなかに、学び続けることのなかに、人生をかけて楽しめる仕事がきっとある。宮大工はもちろんですが、みなさんには『楽しい』を仕事の選択にしてもらいたいなと思います」。

宮大工の仕事だけではなく、社会人として「どう働くか、どう生きるか」という本質そのものの考え方まで教えてくれた横川さんの人柄に、匠弘堂がなぜ宮大工の業界で革新を起こせるのか、その理由がしみじみと理解できた見学でした。

京都ものづくり見学プログラム「HELLO! KOUGEI FACTORY TOUR & WORKSHOP」
開催日:2023年12月5日(火)、6日(水)、8日(金)

主催:京都府、京都府雇用創造推進協議会、京都リサーチパーク(株)
運営サポート:しゃかいか!

text :ヒラヤマヤスコ photo:市岡

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