日本人だからできる本物を!伝統つなぐ新たな『東洋服』 SOU・SOU若林代表インタビュー編

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和のモダンなテキスタイル、一度見ると記憶に焼きつくデザインたちは『SOU・SOU』という京都のブランドから生まれています。「新しい日本文化の創造」をコンセプトにオリジナルのテキスタイルが作成され、衣服から生活雑貨、和菓子までいろいろなカタチに展開されています。

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SOU・SOU代表、京都の若林剛之さんと、マリメッコのデザイナーとしてフィンランドで活躍された脇阪克二さんとの出会いにより、日本の伝統の軸線上にあるモダンデザインが誕生していきます。今回は、SOU・SOU誕生のお話、ブランドに込められた思いを代表、若林さんにせまってお聞きしてきました。
*後編は、テキスタイルを一品一品手捺染で染め上げる八幡染色さんの工房をご紹介。

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SOU・SOUの代名詞ともいえる数字のテキスタイルデザイン「SO-SU-U “十数(そすう)”」の旗が風で揺れています。「SO-SU-U “十数”」は、10個の数字という意味で、「SO-SU-U “十数”」を見た全世界の人が何も言わないでも理解できる柄として、選ばれました。

SOU・SOUのブランド名は、当初、クリエイティブの「創」、かんたんという意味の「草」、よそおいの「装」、住まいの「荘」の意味を含めて採用されたそうです。その後、SOU・SOUの音が、日本人が無意識に相槌として多用している「そう、そう」という言葉と重なり、日本を見つめ直すきっかけにしたいという思いも込めて、ブランド名の由来として紹介されるようになりました。

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SOU・SOUを代表する製品、地下足袋京都店(2016年7月16日、通りをはさんで向かい側に移転・リニューアルオープンしました)。SOU・SOUのWebサイトやメールマガジンで度々登場しているスタッフのみなさんが店頭にいらっしゃいます。

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「さあさあ、上がってくださいよ」と、モダンかつブラックな和の風貌と、一瞬にして気さくな人柄だと伝わる男前な若林さん。JAZZが流れるおしゃれな空間で、しゃかいか!編集部ドキドキです。しゃかいか!カメラマンは、今から8年前、青山店に足繁く通っていた学生時代に思いを馳せています。

根っからのファッション好き
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若林さんは中学生の頃からファッションに目覚め、アイビー(アイビー・ルック)が好きになり、その頃ちょうどDCブランドのブームが来ていたことと、私服通学の高校に進学したことも相まって、ますます洋服好きになったそうです。

新宿のど真ん中で紳士服の技術を磨く
SOU・SOU日本メンズ・アパレルアカデミーが当時あった場所。現在は建て替えられています(Googleストリートビューの写真)

「高校3年生の頃には、ファッションデザイナーになりたいと考えるようになっていました。卒業して東京へ行きたかったのですが、家が裕福でなかったこともあり、寮付きの学校へ進学したいと思っていたところ、たまたま雑誌で、日本メンズ・アパレル・アカデミー(現在は廃校)の生徒募集広告を見つけました。教室の真上に寮があり、通学時間ゼロ。おまけに寮とはいえ、学校の住所が新宿だったので、新宿のど真ん中に住めました」と若林さん。

進学した日本メンズ・アパレル・アカデミーは、日本で唯一の紳士服オーダーメイドの専門学校として技術力ある学校だったそうです。

SOU・SOU学校で使用していたミシン(SOU・SOU提供写真)

技術屋さんの学校だったので、卒業後の就職先はパタンナーになる人が多く、若林さんも「ファイブフォックス」というDCブランドにパタンナーとして就職します。念願のDCブランドに入社し、やったー!と満足していた日々も5年が経過するころには、徐々に気持ちが変化していきます。

オリジナルではない嘘っぽさ
SOU・SOUパタンナー時代の若林さん(SOU・SOU提供写真)

雑誌やショーで見たものに似せて洋服をつくるという、西洋のコピーのような嘘っぽさに違和感を感じはじめたそうです。自分たちの中から出てくるオリジナルではない仕事に本物を求めるようになっていきます。

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その当時は、アメリカのブランドを現地で買い付け、3倍くらいの値段で売るというセレクトショップが、渋谷にぽつぽつとでき始めた時代でした。

「日本のDCブランドよりも、インポートものに本物を感じるようになり、ある時、ニューヨークへ行こうとゴールデンウィークを使って旅立ちました。現地で買付けをしてみて『これはいける!』と思い、帰国して間もなくファイブフォックスを退社しました。当時、京都では、まだ直接買付けで並行輸入しているセレクトショップがなかったので、繁盛しましたよ」と若林さん。概念をすぐさまカタチにしていく、若林さんの情熱に感心してしまいます。

向こうの流行りを仕入れているだけ
SOU・SOU若林さんが居候していたNYのマンション(SOU・SOU提供写真)

「でもね、だんだんとアメリカで流行っている商品をただ買い付けて販売することが、芸能レポーターみたいだなって。スキャンダルをいち早くつかんで売ってはいるけど、自分では何もクリエイトしていなかったんですよ。外国の流行を仕入れて売る自分をクリエイターって言うのは、なんだか違うと思ったんです」と本物を求める若林さんの中で、葛藤が再燃しはじめました。

日本人クリエイターにしかできないことを
SOU・SOUSOU・SOUの前身となったショップ。当時の名は、teems design+moonbalance(SOU・SOU提供写真)

独立してから10年後、若林さんは偶然の出会いにも恵まれ、SOU・SOUの前身となる新店舗をオープンします。そこで、日本人クリエイターにしかできないことを模索すると同時に「和物」が抱える問題と向き合わざる負えなくなっていきます。

進化していない和もの

「日本のものづくりに注力するならば、必然的に和物からは逃れられなくなり、和物をどう変えれば、今の時代にはまるのかを考え始めるようになりました。世の中の技術は進化しているのに、着物は何も変わっていないんですよ。例えば、自転車が流行ってきたら自転車用の着物を作るとか、みんなが車に乗るようになったら車にも乗れる履物を考えるとかしないといけないところ、和物は何もしてこなかったんです」と若林さん。

自分たちが和服のジャンルをつくる

「そのくせ、みんなは『和服を残せ』というところに矛盾を感じていました。いわゆるファッションは、いろいろなことが自由に進化しているからおもしろい。洋服は何をどうコーディネートしても何も言われないが、和服は『ダメ』と言われる。であれば、自分たちが新しいジャンルを作るしかない」と若林さんは、進化してこなかった和装文化の空白を埋めるべく動き出します。

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SOU・SOUの始動とともに和装の新ジャンルを求め、日本の伝統をいろいろと調べ始めます。ですが、京都は絞りの産地だと思っていたら、9割は中国で生産していたりと、日本の伝統でありながら、日本で生産していないという事実にぶち当たります。

「日本の技術」を使ってこそ『本物』

「京都の技術・京都のブランドで販売しているのに海外生産なんて本末転倒。日本のファッションが流行ったら、売上げと一緒に国内の技術も伸びていかないといけない。そうすれば、国内技術も盛り上がるし、後継者も出てくるかもしれない。例えば、イタリアだったら、革の技術が有名だから良い鞄や靴が作れると思っているのに実際は、ほとんどイタリアで作っていないと分かったらビックリですよね。日本でも同じで、着物がたくさんあると思っていたら、ほとんど海外生産だったなんて海外の人が知ったらビックリしますよ。だったら、何を言われようが、日本で生産した新しいジャンルの和服を若者が日常に取り入れているほうが『本物』じゃないかと思いました。もし、自分の考えるジャンルの和装が楽しいと思って頂けて、それが100年残れば、伝統になると思っています。僕らは新しく楽しいことをやるにしても、日本の技術を使うことにはこだわります」と日本の伝統の延長線上に自分たちのブランドを考えている若林さん。

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日本人にしかできない『本物』の和装を追い求めた先にあったもの、若林さんが見出した答えとは。

挑戦していくことがクリエイティブ

「もともと着物も全部、人間が考えた出したもので、良いのか悪いのか千年もの間、着物のカタチが変わっていないけれども、そのカタチが別に今の平成になって多少変わってもいい。時代とともにライフスタイルが変わるのだから、着る物もアップデートするのが普通。今の日本の暮らし、町並に合わせた模様、カタチを創造する事が日本人にしかできないクリエイティブじゃないかと思うんですよ。それができて初めて技術の上でも、『本物の日本のファッション』になるんじゃないかな」と若林さん。

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日本の技術力にこだわり、『本物』に挑戦し続ける若林さんだからこそ、日本のファッション業界が抱える問題が見えてきます。

日本のものなら『東洋服』

「東京コレクションと言うんだったら、もっと日本人モデルを起用しないと!日本のファッションは大前提がやっぱり違うなと感じます。高校生くらいの頃からファッションに目覚めて、外人を見て洋服を買うことに慣れすぎていて、何の疑いもないと思うのですが、外人から見たら不思議なことですよ。洋服は洋服でも、日本のものなら『東洋服』を作ることが、すごく自然だと思います。そういう人がいないと日本のファッションは衰退していきますよ。西洋のファッションなら西洋人が一番似合い、東洋のファッションなら東洋人が一番似合う。まー理屈ではこういう事になります。しかしこれ位の事は日本のファッションデザイナーなら考えるのは普通の事です。外人モデルがいないと成立しないというのは根本的におかしい。そうやって日本人に一番似合うモノを創ってはじめて、日本のファッションと呼べるし、外人のモデルも必要が無くなる。そして漸く、海外から来た人にとって、日本のファッションとそれを支える染めと織りの技術もすばらしいと言わせるものになると思います」と若林さん。

SOU・SOU(SOU・SOU提供写真)

若林さんを和装の新ジャンル開拓へと突き動かす情熱は、SOU・SOUの前身となるインポート商品の販売をしていた時代に生まれます。当時は、ヴィヴィアン・ウエストウッド(※1)やマルコム・マクラーレン(※2)が好きで、パンクファッション系の商品、1970年代の「セディショナリーズ(※3)」とか「ワールズエンド(※4)」のようなヴィンテージ物も販売していたそうです。

もしヴィヴィアンやマクラーレンが今ここにいたら

「70年代のヴィヴィアンやマクラーレンが、イギリスでやっていたことを現代の京都でやらなくてもと思いました。あの時代、あの場所で生まれたカルチャーだからね。もしヴィヴィアンやマクラーレンが今、ここにいたらもっと違うことをするだろうと分かってしまった瞬間から、彼らと同じことをやるのが嫌になりました」と若林さん。70年代のヴィヴィアンやマクラーレンとその当時の自分を見つめ直します。

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ファッションの頂点をパリコレクションとする考えに、『本物』を突き詰める若林さんは違和感を覚えてしまいます。今の日本のファッションが目指すべき先は何か、自分たち、SOU・SOUだからできることを若林さんは、とことん突き詰めて考えていきます。

日本文化の良い部分を掘り起こす

「料理で言えば、ミシュランの星で評価が決まるような、何においてもパリコレを総本山とするのに違和感があります。京都の料理店の中には、ミシュランを断ったところがいっぱいあって良い本が作れなかったんですよ。『日本料理が大切にする味以外のしつらいとか間(ま)とか、そういう部分はあなた方にはわからないでしょう』と門前払いをした京都の料亭があって、すごくかっこよくてね。日本文化にはそんなかっこいいなと思うところがいっぱいあるのにファッション業界の人たちは、外人に迎合してしまっていてね。これからの若い世代はもっと、日本文化の良い部分を掘り起こしていかないと」と若林さん。1970年代のロンドンで、ファッションを通じて、反骨心や危険を顧みない政治的なメッセージを発信してきたヴィヴィアンやマルコムと、若林さんの生き様が重なってみえてきました。

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世の中に未だない新ジャンルに挑む若林さんのお話を聞けば聞くほど、人となりをもっと知りたくなってきました。ここからは、長尺のインタビューの中で、しゃかいか!編集部がグッと胸を打たれた若林さんの人生哲学を紹介します。


今やることを全力でやるしかない

「昨日まで気付かなかったことに今日、気付くことありますよね。昨日とは違う自分に成長しているということもありますが、自分に必要な事が目の前に表れるのだと思っています。テーマはつねに今!“今やることを今やる”の連続です。それをやっていたら、きっと正しい未来が待っていると思うからね」


人の影響や計算に左右されず、自分のオリジナルを見失わない若林さんは、一般社会で常識とされていることの影響は全く受けないそうです。若林さんの借り物ではない自分独自の強い意志がどのように生まれているのでしょうか。


自分で考えて、感じたことを大事にする

「語弊を恐れずに言いますと、世の中の大概の常識は信じないです。例えば『一週間7連勤で疲れた。』とか、誰かが言った刷り込みですよ。プロの中には、365連勤の人が大勢いて、そういう人は毎日を生きているだけだから疲れていないよ。他にも雑誌やテレビで、美味しい、美味しいと言われている料理でも自分が美味しくないと思ったら、美味しくないという気持ちを大切にしないと。だけどね、なぜこんなにも評価されているのか別の見方をして、いいところがどこかスイッチを変えて考えます」


大事なのは自立できているかどうか

「芸術家で偉そうなことをいいながら、自分の作品で食べていけてない人とかいるけど、それはありなの?って思います。食べてはいけないけどアーティストなら許されるみたいな風潮はキライ。何をやっていてもいいけど自分の仕事でちゃんと食べていける(自立している)事が大事。いい年した大人なら保険にも入らなければいけないし、親御さんも安心させなければいけない。それってあたり前の事ですよ」

SOU・SOUSOU・SOU在釜でお出ししている、月替わりでの和菓子『和菓子になったテキスタイルデザイン』は平成21年からはじまりました。『葉月/水音(みなおと)』(SOU・SOU提供写真)

老舗和菓子屋や大手酒造メーカーとコラボレートしているSOU・SOU。今後はどのような展開が待っているのでしょうか?

自分の幅を決めつけて狭めない

「自分の幅を決めず、狭めずにコラボには挑戦していきたい。やってみたこともないのに好きか嫌いかなんてわからないからね。廃れている部分をデザインの力で、売上げが前年比を上回らせることができたらやる気が出ますね。若くてすらっとしているのがいいと思われる洋服に対して、SOU・SOUの服は年をとって、さらに渋みが増してよくなるような服になれればね」と若林さん。

しゃかいか!編集部は今回のインタビュー取材で、日本のものづくりの現場が、世界に誇れる伝統産業に変わっていく時代には、そう、若林さんがきっと必要な人だと確信しました。

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SOU・SOUと「アトリエ・シエスタ」とコラボレートしたキャラクター「わらべ」を囲んでパチリ。

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商品が生まれる現場、SOU・SOU企画室にもお邪魔しました!スタッフの皆さんがカラフルな彩りに包まれ、気分が高揚してしまいます。

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SOU・SOUルックを着こなす企画主任の山本さん。どのデザインにどの色を組み合わせるのか試行錯誤。

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これかなあ。と若林さんと会議中です。

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SOU・SOUルックのしゃかいか!編集部と最後に一枚。本物を見抜く目を持つ若林さんに緊張しつつでしたが、気さくな人柄で大変楽しい取材でした。本日はありがとうござました!

【番外編/スタッフさんのスナップ特集】
昔から好きだったSOU・SOUを取材させてもらうことになり、いち消費者として「SOU・SOUの魅力ってなんだろう?」と改めて考えたみたところ、いつも丁寧でかっこいい、可愛らしいスタッフさんと、自分にとってはチャレンジングでドキドキできるその商品だなーと思いました。
実際に若林さんへのインタビューの際、「着こなしづらいと思われがちなSOU・SOUのファッションは、その良さを自然体でプレゼン出来るスタッフが必要。そういうスタッフなら無理に売ろうとしなくてもお客様には伝わると思いますので。」とお聞きしました。その想い、しっかり伝わっております!
そこで、現場取材に合わせスタッフさんと商品の良さを改めてお伝えすれば、”SOU・SOUらしさ”をより深く伝えられるのではと思い、今回初の試みとして写真特集を組ませていただきました。

テーマは「SOU・SOU、すぐそこ。」


SOU・SOUスタイルの良さは、自分たちもなじみのある普通の場所でこそ目立つはず、、、!早朝からご協力いただき、店舗を出て徒歩数分の場所でスタッフさん4名を撮影させていただきました。(スタッフの皆さん、広報の橋本さん、暑い中、お忙しい中、本当にありがとうございました!)それでは、お楽しみください~!

  •  by しゃかいか!カメラマン

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古川 帆南美さん
SOU・SOU伊勢木綿の店舗を担当しつつ、染織倶楽部「染」と「織」をブログで発信している古川さん。
SOU・SOUのここが好き:布に囲まれていられる
好きなSOU・SOUテキスタイルデザイン:間がさね
撮影場所:鴨川

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高橋 雄二さん
SOU・SOU在釜の茶係りとして、お茶の道を極める高橋さん。仕事終わりは、店舗近くのELEPHANT FACTORY COFFEEで、おいしい珈琲を一杯味わって帰ります。
SOU・SOUのここが好き:京都らしさがつまった他にはないデザイン
好きなSOU・SOUテキスタイルデザイン:尚武(しょうぶ)
撮影場所:白川沿いの重要伝統的建造物群保存地区

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山本 聖美さん
勤務7年目の山本さんは、SOU・SOUのモデルを務めながら、実は企画室の主任。撮影場所の錦市場では、京野菜を買ったり、鰻巻きを食べたりしますよ。
SOU・SOUのここが好き:お客様の声の吸い上げが本当に早い
好きなSOU・SOUテキスタイルデザイン:東山三十六峰
撮影場所:錦市場、錦天満宮

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徳治 達也さん
勤務15年目の徳治さん。店舗近くの「なんだっ亭」へつけ麺を食べによく行くようです。
SOU・SOUのここが好き:日本の男性に新しい和装、和装の良さを伝えられるところ
好きなSOU・SOUテキスタイルデザイン:雲間(くもま)
撮影場所:四条大橋

【詳細情報】

若林株式会社 SOU・SOU

住所:京都市中京区新京極通四条上ル二筋目東入ル二軒目P-91ビル3F
電話番号:075-229-6751(代)
【店舗情報】
SOU・SOU足袋 SOU・SOU着衣 SOU・SOU傾衣 SOU・SOU伊勢木綿 SOU・SOUわらべぎ SOU・SOU布袋 SOU・SOU染めおり
URL:http://www.sousou.co.jp/
Facebookページ:https://www.facebook.com/SOUSOUKYOTO.JP?fref=ts

(text:坂田 photo:市岡 ※一部の写真はSOU・SOU提供)
(※1)ヴィヴィアン・ウエストウッド:イギリスのファッションデザイナー
(※2)マルコム・マクラーレン:イギリスのロックバンドのマネージャー、ファッションデザイナー、ミュージシャン、起業家。ヴィヴィアンのデザインした過激な服を、セックス・ピストルズのメンバーに着せてデビューさせた
(※3)セディショナリーズ:1971年に、マルコムとともにキングスロード430番地に開いたブティック「レット・イット・ロック」の76年、改名後のブティック名
(※4)ワールズエンド:ヴィヴィアンが、79年にオープンしたブティック

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