江戸時代からつづく10万枚以上の版木を貯蔵!日本で唯一“手摺木版本”を刊行する出版社「芸艸堂」

明治24(1891)年。今から132年前に木版和綴本などを手掛ける美術出版社「芸艸堂」さんが京都の寺町で創業されました。 美術本や木版画を求めて、海外からも多くの人が訪れます。

美術出版社とは、一体どのような本を出版されているのでしょうか…?今回取材に訪れました!

こんにちは。本記事を担当するのは、しゃかいか!インターン生の小倉です。

京都の大学に通って3年目、本・文字などのグラフィックデザインを学んでいます。
大学では、本を再びデザインし直す、”リデザイン”を行なっており、本について学ぶ中で特に和綴本という日本で昔から作られてきた本の綴じ方に興味がありました。

今回取材する芸艸堂さんは、手摺りで木版和綴本を出版していると知り、「ぜひ取材にお邪魔したいです!」と、提案させていただいたのです…!

11月中旬の取材当日、秋曇りとは裏腹に晴れやかに心弾ませ取材へ訪れました!
地下鉄の京都市役所前駅から寺町通を北上し、約5分ほど歩いて行くと、「芸艸堂」と書かれた看板がちらりと見えます。

曙色のかわいらしい絵が描かれた暖簾をくぐってお邪魔します!

日本で唯一「木版和綴本」を刊行する出版社・芸艸堂

店内には、芸艸堂さんが手掛けている木版画やハガキが綺麗に並べられています!

今回の取材では、芸艸堂 4代目 代表取締役社長の山田博隆さんにお話をお伺いしました。

実は芸艸堂は、日本で”唯一”の木版印刷の書籍を刊行している美術出版社なんです。
「木版印刷」とは、絵や文字を木の板に彫り、同じ絵を一つひとつ手作業で複製する印刷技術のこと。

現在は、近代化に伴いオフセット印刷やオンデマンド印刷といった機械を用いた印刷がほとんどですが、木版印刷は機械のない時代の印刷技術です。

芸艸堂は、高い職人技術が必要とされる木版印刷和綴本という組み合わせを現在も継承し、本を制作されています。

例えば、こちらが木版和綴本です。

和綴本の最大の特徴として、ページが全て袋とじになっているんです!
雑誌の袋とじページを見たことないでしょうか…?その袋とじが丁寧に全ページに施されていると想像してみてください。

私は大学で和綴本を制作したことがあるのですが、全くと言って良いほど上手く完成させることが出来ませんでした…。いくら丁寧に作ろうと心がけても、絶対どこか紙がはみ出したりズレが生じてしまう難しさ。何年も修行を積み重ね技術を鍛えなければ、そう上手くはいきません。
職人さんが手がけた、一寸の狂いなく綺麗に綴じられている本の美しさに、うっとりとするため息しか出ませんでした…!

山田さんも「綺麗に紙と糸で本が綴じられているけど、職人さんでなければこんなに上手く綴じられない!初心者が作ると、ヨレヨレになるで」と仰っていました。

ちなみに、こちらの本は200年前の江戸の技術を再現した手摺り木版本「北斎漫画」

当時の技術を蘇らせたいとの想いで、2016年のクラウドファンディングを経て、復刊されたもの!

北斎が生きた時代の風俗、仕事、風景、動物、草花…などが繊細なタッチで描かれています。
その生き生きとした表現は、今にも本の中から飛び出してきそう!

北斎の巧みなスケッチが全15冊にまとめられています。重厚感がありますね。

袋とじなので、本が膨らまないよう薄い和紙に摺られているそうです。

美術出版社「芸艸堂」のはじまり

芸艸堂さんの創業は132年前の明治24(1891)年。京都の大手総合美術出版社で修行を積んだ山田直三郎さんが独立し、創業されました。

その伝統は代々受け継がれ、「芸艸堂」として今日まで続いています。

さて、みなさんは美術出版という言葉を聞くと何を思い浮かべますか…?
有名な画家が描いた絵画が載っている画集や図録?西洋や東洋、日本美術史の本?
それとも、絵画の解説本でしょうか。

詳しくお話を伺ってみると、美術出版は、日本人にとても親しみのある「着物」と密接な関係があったんです!

「染織の図案集、今で言うデザイン本を中心に事業を始めました。なぜデザイン本に特化しているかというと、元々京都には清水焼や漆器、着物など絵付けが必要な工芸品がたくさんあったからです。何パターンも図案を描くにあたり参考にするものが必要だったので、それを本に集約して紹介していました。」と山田さん。

こちらが、着物などのデザインに欠かせない図案集です。

木版本「花づくし」

鮮やかな色で、植物や幾何学模様がデザインされています。このようなかわいらしいデザインの着物があれば、お出かけの時に着ていきたくなりますね!

着物を作るとなると、図案の美術書の出版社、着物のデザインを行う図案家(デザイナー)、そして呉服屋など、さまざまな専門家が関わります。

まず、最初に登場するのが美術出版社。美術出版社が制作した「図案集」を参考にして、図案家がアレンジを加えながら絵柄を描いていくそうです。そして、図案家が呉服屋にいくつかデザインを提案し、その中で採用された図案が着物の柄として店頭に並んでいきます。
このように、美術出版、図案家、呉服屋で商売のサイクルがあり、京都の中で市場が上手く機能していたんですね!

普段着として着物を着用していた時代、同業の出版社はたくさんありました。変化し続ける流行に対応しようと、図案集を出版するための原画を描くデザイナーを探したり、呉服屋さんと話し合いを重ねていた、と話されていました。

芸艸堂と深いつながりのある図案家・神坂雪佳

そして、最近まで知られておらず時代を経て、現在再び脚光を浴びている図案家がいます。

重厚感があり、深みのある青い色が素敵な木版本を見せてくださいました。

様々な波模様が薄紫、青色、小豆色など多色でデザインされています。

この図案集を手がけたのが、明治から昭和に活躍した図案家・画家の「神坂雪佳(1866-1942)」です。

桃山時代後期から発展した、「琳派」という流派の影響を受けながら、図案集だけでなく工芸分野や室内装飾などでも豊かな作品を生み出しました。

「もともと日本画の先生だったのですが、当時国を復興させるのにデザインが重要だと唱え、途中からデザイナーに転身された方なんです。いろんな呉服屋さんの専属デザイナーとして、オリジナルのデザイン集を納めたり、家具や調度品のデザインをしたりと、たくさん活動してはりました。日本画家として表舞台からは姿を消してしまったけど、工芸界の中では”神坂雪佳”という人物はすごく知れ渡っていました。」と、山田さん。

神坂雪佳が生きた頃は、徳川幕府が終わりを告げ、明治時代が幕を開ける文明開化の時代。
明治政府は西洋にも負けない完全な独立国家を目指し『富国強兵・殖産興業』を掲げて教育や徴兵に力を入れ、また産業や文化の発展を急ぎました。
その頃に、神坂雪佳も文化発展、工芸の面で貢献していきます。

神坂雪佳「百々世草 雪中竹」

「当時、日本画で有名な竹内栖鳳と横並びくらいの実力の人やったんですけど、デザイナーにならはったから日本画としての評価は消えてしまって、一般の人には全然知られていない。デザインされたものはそれぞれのお店の着物や器になるので、そこには”雪佳”という名前は記されてないんです。」

そして、現代まで一部の人にしか知られず、神坂雪佳の作品たちは眠っていたのだそう。

神坂雪佳「百々世草 八橋」

その名が知られるようになったのは2000年代初め、海外のコレクターがきっかけだといいます。

誰もが「あー!あのブランドの!?」となるであろう、某海外有名ブランドの社長さんが日本の工芸品に注目し、実際に木版画を見て「ブランドの機関紙に使いたい!」とのオファーがあったのだそう。
機関紙に掲載されるのが日本人で初めてという快挙も加わり、その絵が世界中の目に触れることとなったのです。

「この絵を描いた人物は誰だ!」と一般の人にも知られるようになり、世界をざわつかせるようになりました。
そしてなんと、同時期に京都国立近代博物館で神坂雪佳の回顧展が企画されるというミラクルが!
これが初めて開催された神坂雪佳の回顧展でした。

その二つの出来事が重なり、美術の業界人も唸るほどの魅力を、多くの人に新たに知ってもらえるようになりました。

しかし、神坂雪佳という一流の図案家さんとのお仕事もあった一方で、木版印刷の図案集の需要は時代の流れによって変化し、1990年代になると売れなくなっていったといいます。

「バブルが弾ける頃までは、京都の呉服屋も活況だったので、木版本も作って買っていただいていました。毎日、自転車やバイクに積んで、各図案家さんの家兼工房に配達しに行くのがお仕事でした。でも、段々と売れ行きが悪くなり、届けに行っても『ちょっといらんわ』と返品されることが増えていきました。」

印刷技術の発展によって木版本での図案の需要が減少し、データで図案の一部を欲しいという要望なども増えていったのだそう。さらに以前まで、暗黙の了解で成り立っていた、図案の模倣禁止などが守られなくなることがあり、転写・コピーされる問題も発生していきました。
このような時代の流れもあり、業界全体で着物専門での美術出版社も減少していったそうです。

そこで、芸艸堂の新たな試みとして観賞用の木版画や浮世絵に力を入れて運営していきます。

木版画×多色摺で再現される葛飾北斎の「富嶽三十六景」

木版画とは、木の板に絵を彫って摺る木版摺の”一枚絵”のこと。
浮世絵は一枚の原画を元にして彫った木版に色をのせて、何枚も同じ絵を摺られたもののことをいいます。

例えばこの絵。葛飾北斎(1760-1849)の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 の浮世絵です。
この精微な波の表現の裏には、職人さんの摺と彫技術が駆使されています!

大迫力の波の表現と富士山との構図。

木版画ができる工程は、

1. ”版元”と呼ばれる出版社から絵師へ「こういう絵を描いてほしい」と依頼する。
2. 依頼通り、絵師が原画を描く。(使う色ごとにパーツを分けて、絵を描いていきます。)
3. 彫師が原画を元に、板に絵を彫る。(板も色ごとに分けて彫る。つまり色数=板の数になります。)
4. 最終的に、摺師が何枚もの色を重ねて摺る。

完成!という流れになります。

文字に起こすと、簡単に思えるかもしれませんが、何度も相談や修正を加えて、何人もの人が関わり、時間をかけて完成されているものなのです…!

では、詳しく写真を見ながら詳細を見ていきましょう。

例えば、上の写真の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。
何層もの色に分けられて摺られており、多色を再現しています。
複数の色を使い、絵師と彫師との間で上手く色にズレがなく一枚絵として完成させるために、原画や彫の細かい調整など、何度も試行錯誤を重ねられていたそうです。

そして、最後は摺師の出番!
配色を考えながら、背景、船頭の船の色、波の薄い色の部分、濃い色の部分…重ね合わせています。

摺は、色を綺麗にのせるために意外にも力のいる作業らしいのです。
”バレン”という道具を使い、版木に顔料をつけて紙を上からこすります。
大きさの使い分けもあり、細かな丁寧な作業も必要です。

このお話をお聞きし、小学校の図工の授業で木版画を摺った記憶が蘇りました(笑)
確かに力いっぱい摺らないと上手くインクがのらず、大変だった思い出があります。
皆さんも図工の時間で彫ったり、摺ったりする体験はありましたか…?

お仕事として、長年修行を積まれて、彫・摺を綺麗に仕上げられている職人さんの技術は、スゴイという他ありません…!

写真の右の丸いのがバレン。(中身が分解されたものですが)

北斎が活躍した時代は、もちろん現代のような印刷機もなく、木版印刷が最先端の技術として、大量生産に活用されていました。当時、浮世絵一枚あたり蕎麦一杯分の値段で購入できたそう!
意外にも手軽なお値段やー!と驚きました。

芸艸堂さんで出版されているこの浮世絵は、再版も重ねており進化を遂げているポイントがあるそうです。
二枚の絵をご覧ください。どこに違いがあるかわかりますか….?

どちらも嵐が近づき浪が荒れている構図。よく見ると微妙な背景色の違いがあります。
右下の空に暗雲がかかっているのが元々の構図ですが、全体的に暗い絵になるので、芸艸堂版は再版の度に左上のように暗雲が無くなっていきました。
「こっちの配色がいいんちゃう?」「雲の描き方は…」と、話し合いを重ね、仕上げていくのだそう。

ちなみにこの波を表現している”色”にも、ちょっとしたお話が。
「北斎ブルー」「ベルリンブルー」という色名を聞いたことはありますか…?
実はこれ、同じ青色を示しているそう。奥深いです。

当時から木版画や浮世絵はたくさん輸出をしており、アメリカの版画専門のギャラリーがオリジナルのものを注文したりと、万単位で送っていたとのこと。もちろん版画の摺師や彫師など職人さんも大勢いました。

昭和中期(1945-62年)の進駐軍が日本にいた頃。
お菓子の包装紙やバーに置いてあるマッチ箱などのラベル印刷などが若い摺師の職人さんたちの仕事だったのだそうです。

また、お祝いのカードとして贈るGreating Cardも軍に納めていました。占領されていた帝国ホテルなどの大きなホテルで実演販売し、国内の復興とともに木版画を店頭に常備で置いてもらい、販売先も増えていきました。大人気商品だったことが伺えますね…!

デザインの美しさを備えているのはもちろんのこと、日本独特の文化の中で育った発想でデザインされたカードたちは、海外の方からの視点では新鮮に映っていたのかもしれません。
現在も木版画の魅力を聞きつけ、たくさんのお客さんが海外から訪れています。

今では、Greating Cardをリニューアルし、ハガキとして改めて販売。
繊細なお花の柄や鮮やかな色が目を引きます。皆さんはどのハガキでお手紙を送りたいですか…?

10万枚以上の版木がぎっしり!版木蔵の見学へ

最後にいよいよ、「版木蔵」へ。

芸艸堂さんは機械印刷の普及により木版印刷を止めた他版元の版木を買い取り、活用することで多様な図柄や絵を復活。現代においても制作し販売することで、その魅力を発信されています。

たくさんの版木が保管されている「版木蔵」を見学させていただきます!

蔵の中は暗い…?中はどうなっているんでしょう?わくわく!

入ってみると… 版木が、床から天井までぎっしり!

版木の数に、圧巻です!

なんと、全部で、10万枚以上あるとのこと!最近使った版木は手前にあり、分かりやすいよう札がつけられ整理されていました。使わない板は、奥にたくさん眠っています…!

神坂雪佳の版木も30年ほど全く使っていなかったそうですが、最近使うようになり、蔵の中から引っ張り出したのだとか。

特にお話の中で驚いたことは、室温調整をせずに自然に任せているということ!
夏は暑く、冬は寒いまま。なぜかというと、もしも室温調節をしたまま、いざ版木を使うことになって外に出した時に、外気温や湿度などの影響で傷みやすくなってしまうから。
木からできているので、自然のままが良いんですね!

彫の線が細く、とても繊細!

札がつけられ、整理整頓されています。

皆さん「版権」という言葉は聞いたことありますか…?
版木にも「版権」というものがあり、買い取った際にはその権利も一緒に移ってくるとのこと。昔から著作権と同じような権利があったんですね!

版木蔵の中を色々と見学させていただき、ふと見上げてみると…

大きな滑車(クレーン)もありました!
昔はたくさんの版木を移動する時に、2階の床にある穴を通って下に運ばれていたのだそう。(現在は、穴は閉じられておりました…笑)

たくさんの貴重な版木が見られてお腹いっぱいになりました。

日本の伝統技術を現代へ。芸艸堂の新たな取り組み

京都本店の店内様子

最近では、木版技術×アニメという新たな取り組みも始まっています。
アニメの企画や制作をされている会社から依頼があったことがきっかけとのこと。

「今までは、伊万里の焼物などとコラボし、伝統的な柄を使ってアニメとのコラボ品を作られていました。伝統工芸で何かやろう!と思えば、ガラス細工や焼物とかはすぐイメージしはるけど、木版画という選択肢がなかったのか(笑)、知られていませんでした。最近、浮世絵などを美術館で展示してもらっているからか、まだあったんだ!と木版画にも目を向けてもらえました。」

コラボグッズはネットでも販売されており、とても人気なんだそう!知ってくれる人が少しずつ増えているのを実感しているそうです。

残念ですが、このコラボも著作権が関係し、実は写真を載せられないのです。
芸艸堂さんの店内に展示されているので、訪れた際はぜひ探してみてください!(笑)

京都本店では、豆本や木版技術を使った雑貨なども販売されており、版画を知らない人に興味を持ってもらえるよう、間口を広くしておられます。

小さめの本「豆本」

芸艸堂さんの想いが詰まった素敵な木版画、雑貨がお出迎えしてくれます!

木版画を工芸品という括りだけで考えるのではなく、現代で生活する人にも楽しんでもらうため、コラボ商品や豆本や雑貨など新たな取り組みをしている芸艸堂さん。
今回の取材で、伝統を継承しながら進化していく力強さを感じました!

今回ご紹介した以外にも色んな裏話もお聞きでき、終始「そうだったのか!」と納得したり驚いたりの連続で、とても充実した取材でした。

お忙しいところ貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました!

美術書出版 株式会社芸艸堂
京都本店
住所:京都府京都市中京区寺町通二条南入妙満寺前町459番地
電話:075-231-3613
アクセス:地下鉄(東西線)「京都市役所前駅」より徒歩5分 
営業時間:9:00-17:30 
店休日 :土・日・祝祭日

Web:https://www.unsodo.net/jp/
オンラインショップ:https://www.hanga.co.jp
Instagram:https://www.instagram.com/unsodo1891/

text:小倉千怜 photo:本田コウイチ(一部 芸艸堂さんよりご提供)

関連するキーワード

最新訪問ブログ

訪問ブログ一覧へもどる