「きみはそこにいてもいい」。人口1000人の小さなまちから伝えたい次代へのメッセージ。 東シナ海の小さな島ブランド株式会社 ヤマシタ ケンタさん

東シナ海の小さな島ブランド株式会社

ヤマシタ ケンタ

『ものづくりにたずさわる人』や『ものづくりを応援する人』にお会いしてお話を聞いていく、しゃかいか!インタビューの第3回目となりました。

今回のインタビューは、「東シナ海の小さな島ブランド株式会社(通称:アイランドカンパニー)」の代表を務めるヤマシタケンタさんです。

甑島(こしきじま)という小さな島を拠点に、「山下商店」や、港の旧待合所を活用したカフェレストラン「コシキテラス」、コワーキングスタジオ「しまとりえ」や島宿「FUJIYA HOSTEL」の運営、漁師と消費者の新しい関係性をつくりだす「KOSHIKI FISHERMANS FEST」の開催など、様々な事業を手がけるヤマシタさん。

その活動は全国からも注目を集め、最近では他地域でのコンサルティングや商品開発のコーディネートなども引き受けています。

ヤマシタさんが活動の拠点としている甑島は、鹿児島県の薩摩半島から西へ約40キロほどの海に浮かぶ小さな島。ヤマシタさんご自身の故郷でもあります。

山海の豊かな自然に囲まれた上甑島・中甑島・下甑島の三島からなる甑島列島へは、薩摩川内市の川内港から、高速船で最短50分。

細長く並んだ3つの池と海を隔てる砂州が4キロに渡って続く「長目の浜」や、砂州が島と島をつないだトンボロ地形(陸繋砂州)、8000年前の地層がはっきりと残る沖合の断崖群など、特徴ある地形が島の内外に広がります。

長目の浜

トンボロ地形

沖合の断崖群

キビナゴやタカエビといった豊かな水産資源にも恵まれ、水産業は島の基幹産業として島民の生活を支えています。

ヤマシタさんが生まれ育ったのは、上甑島の玄関港、里町。美しい玉石垣の残る江戸時代からの武家屋敷群が印象的な、ゆったりとした時間の流れるまちです。

一方で、多いときには3000人以上も暮らしていたまちの人口は、今では1000人ほど。高齢化率は5割を超え、過疎化と高齢化の進む典型的な田舎まちという側面ももっています。

そんな上甑島の里町を拠点に、様々な活動を展開しているヤマシタさん。

2018年12月には、鹿児島市内に構えていたコンセプトショップ「鹿児島の食と暮らしの専門店 KENTA STORE」の閉店を選択する一方で、通販メディア「KENTA STORE JAPAN」としての再出発表明、ポップアップショップ「出張KENTA STORE」の全国展開など、アイランドカンパニーは会社としても新たなフェーズに向かいつつあります。

福井県鯖江市で開催された「RENEW2018『まち/ひと/しごと』」にて

「日本のおいしい風景をつくる」をミッションとしながら全国を股にかけて飛び回るヤマシタさんが、東シナ海に浮かぶ小さな島から伝えたいこととは、一体なんでしょうか。

今回は、トークイベントのために来られていた金沢市のシェア型リノベーションホテル「HATCHi 金沢 -THE SHARE HOTELS-」でお話をお聞きしました。

——しゃかいか!髙橋:今日はよろしくお願いします。さっそくですが、改めてアイランドカンパニーが手がけている事業を簡単に教えていただけますか。

はい。農産物・ハーブなどの栽培と、豆腐の製造をはじめとする食品加工。あと、直営店での販売と、全国のショップや雑貨屋などに卸しをしています。それと、ベーカリーカフェレストランの運営、宿の運営、公共施設の中でコワーキングスタジオの運営、レンタサイクル・レンタルBBQコンロといったレンタル事業、それと通販。それから、他地域での商品開発とか地域づくりのコンサルティングみたいな形で、デザインとかコンセプトメイキングとか、そういうところのお手伝いをしてます。

——めちゃくちゃ多岐にわたってますね(笑)

もう、はい。自分でも混乱してるぐらいな感じです(笑)

——少し昔の話も振り返りながら話を聞いていきたいと思うんですが、2012年にアイランドカンパニーが会社化されたときは、まだそもそも店舗がなかったんですよね。

四畳半のオフィスがありました。甑島に。本当に小さな一部屋を借りて、そこを事務所につかってましたね。

——そこから小さな豆腐屋「山下商店」を運営することになると思うんですが、店舗を構えようと思った理由はなんだったんですか?

いつかはお店とか場を構えたいなっていうことはずっと頭にあって。

当時は農業をメインでやっていたので、米作りをしたり、地元の焼酎蔵と契約栽培でさつまいもを栽培したり、野菜を少量多品目でつくってたんです。それから島の外にものを売りに出るということを始めて。県内のマルシェとかデパートに売りに行ったりしていくなかで、出店の申し込み用紙みたいものを書くじゃないですか。そこに「店舗名」って欄があるけど、自分は山下賢太っていう個人でやってきたし、もともと農家になりたいわけじゃないから、”なんとか農園”でもないなと。ま、物を売ってるし、「山下商店」でいっかと思って。だから実は、店舗を持たないけど屋号として、便宜上、申し込み用紙のために「山下商店」と書いたのが最初ですね。

で、ぼくは今でも毎朝ツイッターで「甑島」でキーワード検索するのが日課なんですけど、そうやっていろんなイベントに出店してるときに、ある日、「甑島にこの夏行ったら、山下商店に行きたい」って言うツイートがあって、おやおやと。(笑)

——建物も何もないところにお客さんが来ちゃう(笑)

山下商店ないんだけど、やべえなぁ、どうしよう…っていうのが、僕の背中を押してくれた。

自分の中では甑島って情報発信量も少なくてイメージしづらい島だから、観光地とか食べ物とかお祭りとか、一生懸命甑島のイメージを発信しようと思ってたんだけど、お客さんが求めてるのはそういうことじゃなくて、僕らがやってる取り組みそのものを見に行きたい、それを目的化しちゃうんだ、みたいなことがそこで実感としてあって。

甑島がいい島だから行ってみよう、じゃなくて、僕らがやってることが興味深いから甑島に行ってみて、そこで甑島のイメージが作られていくっていう、なんかちょっと違った島のプロモーションの仕方みたいなことにそこで気づきがあって。

やっぱり求められてるんだから場をつくろうって、(山下商店を)つくりはじめました。

——しゃかいか!加藤:でも、見せてもらった改修前の山下商店の写真、古民家というか、もう廃墟でしたよね。

ははははは(笑)

いやもう実際廃墟だと思うんですよ。誰もが壊すものだと思い込んでいた。

提供:island company

——しゃかいか!髙橋:それでもあの建物は使おうと思ったんですか?

うん、思いましたね。

可能性を感じたので。あの建物と場所に関する島の人たちの記憶っていうのが、明確にみんないい思い出、いい記憶として語り継がれてきていました。歴史的にきちんと、地理学的にも政治学的にも意味のあるエリアだった。やっぱり大きな流れは変えられないので、意味があってそこにあると思うんです。でも全く新しいことをするのではなくて、その場所の記憶を引き継ぎながら、時代に合わせて良いものをちゃんと伸ばしていくような場づくりをもう一回しようと。

提供:island company

——場の選び方にも、ちゃんと根拠があったんですね。廃墟にも近い建物が、すごく素敵な場所に。そうやって2013年、甑島に山下商店が完成して、2014年には鹿児島市内のマルヤガーデンズに山下商店の直売所ができました。

そのときには、豆腐だけでなく、甑島にある既存の商品っていうのをメインで扱ってました。

僕らは、豆腐を一生懸命売るっていうことより、山下商店っていうひとつのブランドのフィルターを通して、甑島のものを紹介していくということをやりたくて。だから「山下豆腐店」ではなくて、「山下商店」というひとつのブランドを育てたかった。

——なるほど。「山下商店」は甑島を知ってもらうための窓となるブランドだったんですね。一方で、2016年には「山下商店」ではなく「KENTA STORE」として天文館にお店をオープンされています。

山下商店は甑島に本店としての山下商店があって、その後に山下商店マルヤガーデンズ直売所っていう形で出店して、僕らとしてはいま言ったような思いで一生懸命やってきた。知名度は上がっていくし、外からの評価も上がっていく。そういう取り組みを離島からしている人はなかなかいないので。

でもそういう中で、失敗しちゃった、と思った。自分たちとしては。商品開発しようとしたりとか、すごく急いでたんです。自分たちが求めているスピード感と、リアルな甑島の中の生産者とか作り手の人たちのスピード感と、全くあってなかったんです。

そこで気持ち的な乖離が生まれていたんじゃないかなって思ったときに、長い目でブランドを育てていくことを考えたら、このまま急いで商品化をやっても供給できないし、ブランドの信頼にもつながっていかないので、ちょっと山下商店を、甑島に戻そうって思ったんです。

もう一回足元を固めるというか、地元の人たちとのコミュニケーションだったりとか、商品開発への思いとか、そういったものをちゃんと膝付き合わせて話さないといけないなというのがそこで芽生えて。

かっこつけてそこでおしゃれな感じでやる事はできるんだけど、長い目で見たらそれは得策じゃないなと。誰も幸せにならない。大量生産大量消費を促しているだけのような気がして。

そのときに、山下商店の名前を変えたんです。「山下商店甑島本店」っていうふうに。それはいつか必ずまた島の外へ行きますっていう僕らの思いです。ここがいつかまた本店になりますっていう。だから今、正式名称は「山下商店甑島本店」です。一店舗しかないですけどね(笑)

そうしたときに、今までのつながりがあったお客さんだったりとか、(山下商店の)商品を好きでいてくれたお客さんをゼロにはしたくなかった。じゃあどういう店舗がいいのかって考えたときに、鹿児島の中でも知られていない甑島を鹿児島の島だと認知してもらうために、あえてそのフィールドを甑島ではなくて鹿児島というフィールドの中に引き上げる、そういう店舗を作ろうと思って「KENTA STORE」を立ち上げ、「鹿児島の食と暮らしの専門店」と位置づけて、そこに甑島のものを吸い上げていくっていうことを考えたんです。

提供:island company

甑島のアンテナショップですよとなった時点で、甑島のことを知ってる人とか興味のある人とか気になってる人しか来ない。長く続いていくためには、「甑島の名前を覚えてください」っていうPRではなく、自然と甑島が必要とされていくような出口の作り方をやろうって思ったのが、「KENTA STORE」の始まりです。

——甑島の存在を鹿児島全体の文脈の中で浸透させていくという狙いがあったわけですね。いまの話とも少し繋がるかもしれませんが、アイランドカンパニーの主力商品である「とうふ屋さんの大豆バター」にも「太陽のきびなご」にも「島茶」にも、パッケージには大々的に「甑島」とは書かれていないですよね?

「とうふ屋さんの大豆バター」

「太陽のきびなご」

「島茶」

書いてないですね。

結局みんな甑島にいると、あるいは地方にいると、みんな自分のまちが好きだから一生懸命になって自分のまちの名前を覚えてもらおうと必死になる。たまに東京に行ったらそれなりに集客があって、普段は地域の中では入らないような売上が入ってくるからみんな無理して東京にいく。しかも、地方からの旅費交通費を、誰かが出してくれるなんてことがあれば、そもそもその商品って誰に求められているのか?って言うことを誰も疑わない。誰が喜んでるの?その催事、その商品、そのサービス、みたいなことがずっと起きていたような気がして。

だったら僕らは、食卓から逆算して商品開発を考えていこうと。

豆腐を作ることだけがとうふ屋の仕事じゃないっていうふうに自分たちの仕事を考えたときに、誰かの時間を準備すること、特にいま困っている人たち、慌ただしく暮らしている人たちに対して少しでも豊かな朝を準備する職人がとうふ屋の仕事だと再定義して。

ちゃんと中身もこだわった商品を、甑島のとうふ屋さんですって言うことを前提に出すんではなくて、それを求めているマーケットから逆算して考えて。気がついたら甑島のものだった、そこからその商品を通じて甑島のイメージを作っていく。僕らが「甑島はこうですよ」って発信するんではなく、お客さんに甑島ってこういうイメージだよねって受け取ってもらうっていうところが根底にあるので、島茶にしても太陽のきびなごも大豆バターも、「甑島」っていうのをあえて前面に出さない。だけどもみんな甑島のものって認知して今買っていただけるっていう、今までのやり方をやってきた人たちからしたら理解できないようなことが起きているのかもしれません。

——すごく健全な「出口づくり」に取り組んでおられますよね。わかっていても、実際にそれをやるのには勇気が要りそうだけど。出口づくりといえば、今お聞きした事業のほかに、「KOSHIKI FISHERMANS FEST」も頑張られていますよね。

提供:island company

はい。新しい水産業の風を甑島から吹かせようと、2016年から始まりました。

漁師さん自身が、獲ってきた魚を、自分たちで焼いて食べてもらう。焼きあがるまでの時間、一緒に飲みながら食べながら漁師の魅力を自分で伝えるという、すごくシンプルなイベントです。魚の前に、魚を獲っている漁師さんに価値があるということを伝えたくて、そのための場の設計をしてきました。現在は広島や宮崎にもその動きが広がっています。

提供:island company

提供:island company

甑島の漁師さんたちは、水揚げしてから多くの手数料をとられています。しかも、市場に水揚げする選択肢しかない場合、価格決定権が自分たちにはなく、需要と供給のバランスによって値段が決まります。これまで多くの漁師さんは、魚を獲ってトラックの配送業者などの仲間に預けるところまでが仕事だったんです。家に帰ってきたらFAXが流れてきて、「あなたの今日の魚は3,000円です」。でも明日は「3万円です」そんなことがが起きる。市場の原理で。その2万7千円の差を、少しでも漁師さんに返していけたら、水産経営を少しでも安定的に考えていけるんじゃないかと思って、はじめました。

提供:island company

このフェスをきっかけに、お客さんと直接取引できる仕組みができれば、今後は甑島漁協の水揚げ料と、KOSHIKIフィッシャーマン運営事務局の手数料の2回で済む。しかも、漁師さんに価格決定権を取り戻した上で、そういう選択肢を増やしませんか?というきっかけをつくる取り組みです。

近々、新しい流通の仕組み「フィッシャーマン364」っていうWEBサイトの立ち上げも予定しています。「フィッシャーマン364」と言っているので、365日のうち364日間を豊かにしていく。残りのたった一日は、甑島のフェスにきてください、と。漁師さんの顔を知った上で、この流通の仕組みをつかっていく。そういう顔の見える新しいサービスをつくっていこうとしています。流通だけでなく、フェスだけでもない。その両輪でやっていく。

▼「フィッシャーマン364」

——では、FISHERMANS FESTは今後も継続して開催を?

継続する必要があればするけど、形は変わっていくかもしれない。

やっぱり目的は、フェスをすることではない。目的と手段を間違ってはいけないので。漁師でもない僕がいうと失礼にあたってしまうかもしれませんけど、漁師さんの水産経営を安定化していくなかで、安心して次の世代の子どもたちに漁師っていう誇りある仕事を引き継いでいくためのひとつの取り組みなので、そこにつながっていくのであれば形にこだわらずに色んなやり方ってあっていいと思いますね。

——ヤマシタさんの活動は、物事の本質を常に見据えられている気がします。その意味で再びKENTASTOREの話をお聞きしたいのですが、生産者と消費者の関わりの場だった天文館のお店を昨年の12月に閉めて、方向転換を図っていくというその意図を改めてお聞きしたいです。

すごくわかりやすく言ったら、これをやるのはおれたちじゃなくてもよくない?っていうことに改めて気づかされたんです。すごく平たくいうと、KENTA STOREってセレクトショップとか、道の駅、みたいな場所。自分たちにしかできないことに注力してやろうと思ったときに、これって僕ら以外の人でもできるから、もう手放そうと思ったんです。自分たちでは「アイランドカンパニー」と名乗っておきながら(島はもっとあるのに)基本的に甑島でしか活動していない。そういうことを考えたときに、天文館っていうまちの中で自分たちじゃなくてもできるようなことをやっていることに何かこう違和感みたいなものを感じて。

誰かの居場所は作ってきたかもしれないけど、島に特化して場所を作っていく方が僕らにしかできないことなんじゃないかなって思ったときに、その場を続ける意味みたいなものが自分たちの中で薄れて、他の人にそこは託そうと。

大事なのはやっぱり外の人たちに気づいてもらう力だったりとか、実際に売る力、買ってもらう力っていうこと。そこから自分のまちの魅力を内側にいるひとも再認識する。

鹿児島の人たちに鹿児島のものを売っていくだけではなくて、外の人たちに鹿児島の地域の魅力を知ってもらうような取り組みに特化していったほうがいいなって。

今までのつながりで良い商品とか良い生産者と出会ってきたことを店の閉店でゼロにしちゃうんじゃなくて、それだったらポップアップで出張KENTA STOREで県外に行って、こうやって外交的な、外の人たちときちんと人と人でつながっていくっていう或る意味「メディア」になっていったほうがいいんじゃないかなっていうことですね。

——ポップアップで出張KENTA STOREをやりつつ、通販事業にも力を入れていくんですよね。名前も、鹿児島を飛び出して「KENTA STORE JAPAN」に。

そうです。外で売っていく力っていうのをつけるために。

今までは「鹿児島の食と暮らしの専門店KENTA STORE」っていうふうにやってきたんですけど、売る力を持った「メディア=媒体」としてそれを育てていこうと思った時に、こうやって金沢に来たり新潟に行ったりあちこちにいっている自分がいて、だから逆に金沢のものを鹿児島にもっていくっていうこともこれからはできるようになる。

全国の地方と地方をお互いに知ってもらえるような企画とか。会社としてのミッションは「日本のおいしい風景をつくる」っていうのが一番上にあるので、日本のおいしい風景を作るために、お互いのまちの良さをエリアに限定せずに高めていくブランドっていうコンセプトで売れていくメディアをちゃんと作りたいなって。

どうしてもアイランドカンパニーって島にすごく特化してるようなイメージがあるんですけど、島に特化するんだけれども、一方でそうでは無いもう一つの選択肢を持った上で両方やっていくっていうことが、そのバランス感覚がこれから大事だなぁという自分の中で思いがありました。

——島だけでなく、全国の地方をも股にかけながら「日本のおいしい風景」をつくっていくんですね。ヤマシタさんが、その活動の先に伝えたいことって何ですか?

島とか地方の中に生まれた子どもたちに、そこにいていいんだよっていうメッセージを送りたくて。そこにいても世界とか日本の各地の人たちとつながって暮らしていけるし、やりたいことができるっていう世の中をつくりたい。東京に行かないと夢が叶わないとか、海外に行かないと外国の文化に触れられないとかそういうことじゃなくて、自分の故郷で、あるいは自分の暮らしたいまちで世界とつながってそういう仕事の仕方ができるんだっていう。次の時代のために僕はそこの地ならしをしたいなって。

もっと言えば、次の世代がより本質的に自分たちの幸せと向き合えていいまちだなと思って暮らせるような地ならしをしている。そもそもの物差しとか、それぞれの地域の作られ方っていうのが、どこからか日本は大きな経済と引き換えに間違った方向にいったかもしれない。自分たちらしさみたいなものを排除してきた。どこかからもってきた物差しで自分たちのまちを測って、金太郎飴みたいにどこを切っても同じようなまちができあがっちゃって。グローバルになればなるほどローカルの力ってのが求められると僕は認識してるので。

だから選ばれるまちになる。子どもたちに。いま、男だからとか跡継ぎだからとか長男だからとかっていう理由では、ふるさとに帰る世の中じゃなくなりつつあって、それはふるさとも一緒で、故郷だから帰るっていう選択肢もそうでなくなりつつある。そう思ったときに、どんどん意味深くなってくると思うんだよね。なぜ自分がここに暮らしているんだろうかとか、なぜここで働いているんだろうとか。

その中で、甑島っていうまちが選ばれる存在でありたいなと思って。みんなが憧れているまち、例えば京都とかパリとかニューヨークとかと同じように、あらゆる世界をみてきたこどもたちが、それでもやっぱり甑島に暮らしたいと。そう思ってもらえるためには、じゃあ今自分が何を考え、いかに行動するかという大人の背中みたいなものを特別ではなく、普段の日常のなかでいかにこどもたちに見せていくかっていうのが、大事なんじゃないかなと思います。

——まさに、いまの日本の地方に必要な心持ちがぎゅっと詰まったメッセージですね。ヤマシタさん、長時間にわたってありがとうございました!

プロフィール画像

ヤマシタ ケンタ さん

東シナ海の小さな島ブランド株式会社/代表取締役社長
1985年鹿児島県上甑島生まれ。JRA日本中央競馬会競馬学校中退後、きびなご漁船の乗組員を経て、京都造形芸術大学環境デザイン学科卒業。2009年株式会社くろちく[京都市]に入社。2011年、東シナ海の小さな島ブランド株式会社を創業。2017年、かごしま・人・まち・デザイン賞都市デザイン部門にて優秀賞。

URL: http://island-ecs.jp/

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