お江戸から東京へ。歴史のつながりを体験できる博物館 江戸東京博物館
今日は東京都墨田区にある「江戸東京博物館」を見学。
未来感あふれる江戸っぽくない建物!
近くを通った時は博物館だなんて全然気づかなかったけど、ここは毎年100万人以上が訪れ、都内に限らず全国からも見学者のみなさんがぞくぞく来館し、最近は海外の人もたくさん来ているすごい施設らしい。このなかにどんな江戸と東京が詰まっているのかとても楽しみです。
では、さっそく見学スタート!
今日も小学生がたくさん。館内が一日中、小中学生でいっぱいになることもあります。
おとなりは両国国技館。初場所の真っ最中でした。江戸東京博物館の所在地は「墨田区横網」といいます。横綱と間違えやすいので注意!
これが、江戸東京博物館のシンボルマーク。なんだこれは?
このマーク、実は東洲斎写楽の役者絵の左目の部分をもとにデザインされたもの。見得を切った瞬間の力強い目が、来館する人たちの驚きや好奇心を表し、江戸時代から現在、未来の東京を見守っている象徴です。
6階の展示室までエスカレーターで上り、見学スタートです。入場してまずビックリするのが、日本橋。まさに江戸時代へワープ!「これから江戸に入るぞ!という気分を盛り上げる仕掛けになっています」と学芸員さん。
お江戸の町の風景が広がっています(ミニチュア)
ミニチュアといっても、たくさんの資料を元に本格的に再現。建物はもちろん、人々の表情一つ一つまでまるで生きているかのように、丁寧に作られています。ちなみに時代は寛永年間(1624〜1644年)。徳川家光が将軍の時代で、まだ将軍さまのお膝元「お江戸」になってから数十年しか経っていない時期。どんどん人が増えていったんでしょうね。お役人さんも天秤棒をかついだ物売りの人も、お坊さんもいて、みんな活気にあふれています。
日本橋です。よーく目をこらすと愛をささやきあうカップルがいるのだそうですよ。こんな人だかりで、なんと大胆!
こちらは変わって大名屋敷、先ほどの町人エリアと同じ面積に一つのお屋敷だけがどん!とあります。比べてみると、その広さを実感することができます。武士の権力を一目で実感。ははーっ。
江戸城のミニチュアもあります。あのお屋敷は現在だとどのあたりだろう?あそこはJRの中央線が今なら走ってるな、といった想像がふくらんできます。江戸東京博物館は「体験型の博物館」を目指していて、これらのミニチュアの町のように立体的な展示物がたくさんあります。中には触れて実際に乗ることのできる昔の乗り物もたくさんあります。これが小学生に大人気な秘密なのかもしれません。ちなみにミニチュアは触ってはいけないのでご注意くださいね。
甲冑の展示はやはり大人気です。
こちらは、千葉県市原市の小学生ご一行さま。「たのしーっ」と大満足です。
赤穂浪士の忠臣蔵の刃傷シーンで有名な松の廊下の襖絵を再現(高さは実物大です)。
わっしょい!火事はどこだいっ!
火事と喧嘩は江戸の華!ということで、火消しの纏(まとい)を火消しになった気持ちで振り回すことができます。わっしょい。
でも、江戸の華でも喧嘩はNG!みんな順番を守って体験してくださいね。
わっしょい!天秤棒を担ぐこともできます。
他にも千両箱(もちろんレプリカ)を実際に持ち上げるコーナーもあります。江戸東京博物館には、こういった体験ができるコーナーもたくさんあります。
江戸時代の指物師(さしものし)のお宅をのぞくこともできます。指物師とはタンスや机などの家具や硯箱、茶盆などの小さな道具までを作る職人さんのこと。ノミやカンナを使いこなし仕上げていきます。指物師は全国にいたそうですが、中でも「江戸指物」の装飾は簡素なものの、丈夫で長持ち。現在の東京でも伝統の技が継承されています。
他にも、大工さんのお家の中や寺子屋、出産の風景なども展示。
江戸時代の大工さんと現代のサラリーマンの年間収支を勉強することもできました。それによると、お子さんが一人いる借家住まいのご家族で比べた場合、江戸時代の大工さんだと収入の7割以上が調味料やお米などの食費で占めてしまうものの、支出の収入に占める割合(どれだけ貯蓄できるか)はなんと江戸時代の大工さんの方が上だったんだとか。現代のサラリーマンは交通費・住居・通信光熱費・交通費以外の「その他」が3割以上を占めます。シンプルな時間を過ごす江戸時代の大工さんの方が、お金が貯まったのか。
他にも展示の中には、「町人の人生」や「町の住民の年齢構成」といった江戸時代の面白いデータも充実しています。
情報発信地、お江戸
人も集まればモノも情報も集まるのはいつの時代も同じ。時代が進むにつれて江戸は、情報発信地としての役割が大きくなります。
絵草紙屋さんの店先の復元です。絵草紙屋とは現在の漫画や書籍も取り扱う本屋さん。このお店は実際に芝神明三島町(現在の港区芝大門1丁目)あたりに実際にあった和泉屋市兵衛さんが経営するお店「甘泉堂」。当時この地域は東海道の脇に位置して、同じようなお店がたくさんありました。
お相撲さんの絵もあれば、
お勉強の本もある。
絵草紙や錦絵の他、地図や往来物(手紙形式で書かれた教科書のようなもの)も取り扱っていました。農業や商業に関する実用書や礼儀作法なども含む往来物のおかげで、広く庶民にまで教育が行き届き、その結果、識字率が向上するなど日本の高度な教育の原動力になったとも言われています。
鎖国だったけど海外と交流していました。
ご存じ!「解体新書」(安永3年/須原屋市兵衛版)の展示です。解体新書は「ターヘル・アナトミア」というオランダの解剖書を、杉田玄白や前野良沢が辞書無しで約3年がかりで翻訳・編纂した、日本初の西洋から翻訳した解剖書。教科書でならったぞ。
鎖国のイメージが強い江戸時代ですが、オランダや中国・朝鮮とつながり、限定的ではあるものの海外との文化交流も継続。国内では、地方からも文化人がどんどん集まり、学問はもちろん芸能や書画などの分野も発展し、文化文政(1804〜1830年)といった時期には特に文化の主役は町人が担うようになっていきます。
江戸時代の商家、それもかなり大きなお店。「三井越後屋」という屋号が見えます。
こちらの三井越後屋さんは「現銀掛値無し」「反物の切り売り」「店先売り」を発明したお店。それまで反物なら一本丸ごとを夏冬のボーナス一括支払いで訪問販売形式で売っていたのを、必要な分だけ安く買いたいというお客さんのために、お店に来てもらって現金(掛け値だと手数料がかかるので少し高い)支払い、いわばお財布に優しい商習慣が生み出されました。これによって武士など高い身分の人しか買えなかった品物を、庶民でも手に入れることができるようになりました。まさしく売り手よし、買い手よし&世間よし。こういう経営理念を醸成する下地が生まれたのも江戸時代。
人やモノ・情報が揃えば、次に来るのは娯楽。
写真は芝居小屋「中村座」の復元(原寸)です。写っている人もミニチュアではなく現代の中学生。江戸東京博物館では芝居小屋の「中村座」の正面部分を幅約20mにもわたって再現。江戸ゾーンの目玉で、ガイドさんにお願いすれば中に入ることもできます。
江戸東京博物館のある墨田区両国周辺は盛り場、今でいう渋谷・新宿・池袋を全部集めたような娯楽の中心地。明暦の大火以降、災害対策の一環として大名屋敷や寺社などが移転し道路をはじめとする町割りを整備、そして両国橋や永代橋など隅田川に橋が架けられ、それまで江戸の外といったイメージだったこの周辺エリアは、江戸の一部に組み込まれました。
同時に防火対策のために、川の両岸には延焼を遮断する防火線として広小路が設置されました。(地名に「広小路」と時々見ることができるのはこの名残です)
神田明神祭礼山車の復元。こちらもおっきいな。わっしょい!
踊ってる踊ってる〜。たのしそう。
広い土地ができると人が寄ってくる!
当初は、火除けを目的に、誰も住まない住んではいけない空間だった「広小路」もやがて「自由な空間」としての役割が与えられ、人が集まってきます。飲食店はもちろん、見世物や芝居の小屋、大道芸、お茶屋さんなどなど。さらにここに集まる客を目当ての商いをする人たちがあつまり、遊びの場として発展していきます。花火も打ち上がります。
最大の娯楽が歌舞伎!
歌舞伎の演目、七代目市川團十郎の「助六」シーンの再現。現在では伝統芸能的なポジションの歌舞伎も江戸のみんなにとっては、日常を忘れさせてくれる華やかな娯楽。今でいうライブと映画、テレビ、アイドルといったエンターテインメントの要素を全部乗せしたようなもの。
今は亡き十二代目市川團十郎さん監修のもと、人形の手首の太さといった非常に細かいところまでアドバイスを受けて復元されました。
いよいよ江戸ゾーン最後の展示、幕末・維新のコーナーへ。
写真は江戸城無血開城の立役者「勝海舟」さん。テレビや歴史小説でもおなじみで、実は江戸東京博物館のご近所すぐそこの本所亀沢町の生まれ。このコーナーではペリーの来航以降、条約交渉の推移やドラマチックなたくさんの人物が登場し、きっと幕末好きの人にはたまらないコーナーだと思います。
博物館の中では、ちょうど江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれる境目に配置され、展示の内容も江戸から「東京」になっていくちょうど転換期の展示です。
そしてついに、江戸が東京になりました!
江戸幕府がなくなり、将軍様がいなくなり、江戸は「東京」と改称され明治2年(1869年)に明治天皇が東京に行幸し、そのまま首都「東京」となりました。写真は前島密が書いた「江戸遷都意見書」です。
文明開化!
東京と呼ばれるようになるとともに海外の文化がドッと入ってきます。
政府のお役人さんが外国人とダンスを始めたりしてスタートしますが、やがて人々もザン切り頭や洋食などが浸透していきます。
東京になって数年後明治5年には銀座煉瓦街が建設されます。(写真では電車の線路のようなものがみえますが、これは鉄道馬車のレールです)。
しかし、同じ町の庶民のお家では結構つつましい暮らしが続いていたりします。江戸時代とはそんなに違いはなさそうです。
御茶ノ水のニコライ堂(1891年竣工)も今ではビルに囲まれていますが、当時は東京中から見ることのできた大きな建物でした。ところで武士がいなくなってあの大きな武家屋敷はどうなったかというと、当時の東京府知事によって桑畑・茶畑への転用が奨励されました。これは思いつきでもなんでもなく、生糸とともに輸出の主要品目だった茶の増産を目指したからでした。しかし、2年後にこの政策は廃止され、東京が耕作地になることはありませんでした。
その後、関東大震災を経て、東京はインフラも整備。さらに近代的な街へと発展していきます。
電気・水道・ガスといったライフラインや鉄道網の発達の様子を年代ごとに見ていくことができます。
大正時代の少し洋風になったお家です。和洋折衷住宅と言います。しかし、まだこの頃は寝室や台所は和風で、住まい全体を折衷するというよりも、客間や家族の居間を洋風なお部屋にしていた、という様式が多かったようです。
東京は、大きな戦争も経験します。
こちらは戦争中のお住まいです。爆風で飛ばされないように窓にテープが貼られています。防空頭巾や鉄兜、明かり漏れ防止の覆いなど、戦争を連想する道具がたくさんあります。ご年配のみなさんがお話ししているところに遭遇。「あ〜こうだったねー」という声が聞こえてきます。
ご挨拶がてら「おにいちゃんは見たことないでしょー」と言われてしまいました。
こんなのもありました
団地の中にお邪魔します。(はいれません)
お!なんか覚えてる風景です。一気に時代がすすみました。高度経済成長期のサラリーマンのお宅です。戦争が終わり、疎開先や海外からの帰還、高度経済成長期になると地方からの若者の流入が増え、東京は一気に住宅不足がすすみます。国や都が頑張って団地を建設するものの、なかなか追いつかず、木造アパートが密集する区域も生まれました。「もはや戦後ではない」とうたった昭和31年の経済白書ですが、翌年の経済白書では、住環境については「まだ、戦前の水準に達せず」と書かれていました。
大量消費社会と人口増加に伴ってゴミの量も爆発的に増えました。
都内ではゴミ処理施設を区同士が「迷惑施設」として押しつけ合う事態も発生。環境や公害の問題が深刻になったのはちょうどこの頃でした。
てんとう虫の愛称で親しまれたスバル。モータリゼーション社会も到来。
三種の神器なんて呼ばれたカラーテレビ。
1964年東京オリンピックのブレザー。次はあと4年後です。
江戸東京博物館の開館時には「東京オリンピックの時代まで」の展示だったのですが、時代が進むのに合わせて、以後も展示を増やしながら、どんどん進化しています。博物館自体も時代を追いかけて、成長しないといけないのですね。
乗った乗った!
意味なく変速したな。
踊った踊った、という人もいるでしょ?
いましたね。
真面目に解説しています。
あれー最近じゃないの??
うわっ、自分の生きてきた時代もすでに展示され始めてることに気づいた。
江戸東京博物館では、3月19日(土)からは企画展 「近代百貨店の誕生 三越呉服店」 も開催。明治時代に呉服屋から本格的に近代的な百貨店へと転換していった三越百貨店の歴史を見ることができます。
「江戸東京博物館」が「江戸・東京博物館」ではない理由
館長さんいわく「江戸と東京は断絶した関係ではなく、そこには確固たる連続性があります。一連の続きとして体験して欲しいから、『江戸・東京博物館』と区切らずに、『江戸東京博物館』にしました」とのこと。
その言葉の通り、江戸東京博物館のテーマは江戸と東京の町としてのつながり。江戸時代になってから約400年間を一連の流れとして見られるのが、他の博物館との最大の違いです。歴史の教科書の年表なんかだと、江戸時代と明治時代の間に線が入ってて、まるで扉が開いたように新時代が生まれた!と錯覚してしまいそうですが、庶民のみなさんは、ちょんまげでなくなったり洋服を着るようになったりと、変化の幅は大きいものの、もちろんその間も継続して生き、日常の暮らしを私たちにつないでくれていることがわかりました。
地域貢献を担うミュージアムとしても機能する!
全国からの来場者が多い江戸東京博物館も、基本的な姿勢は「地域密着」。
毎年5月頃に開催され、7万人以上の人が訪れる両国の風物詩としてすっかり定着した「両国にぎわい祭り」に、江戸東京博物館も積極的に参加。地元の企業や団体、地元の商店街などと連携し、両国の歴史をガイドさんと楽しく学べる街歩きガイドツアーや、ちゃんこなべの競演「ちゃんこミュージアム」など、両国の街の活性化とPRでも中心的な役割を担い、地域の盛り上げにも一役買っています。
また、墨田・両国エリアには、近隣の「すみだ北斎美術館」や、2018年に移転してくる「刀剣博物館」などの博物館が集まってきて、ミュージアムコンプレックスゾーンを形成していく計画が進行中。
都市の文化や歴史という学びの軸と、ご近所さんとともに地元へ貢献するという横の広がりを持つ江戸東京博物館。博物館もみんなとともに生きている、ということを感じ取ることのできた見学でした。
今日は有難うございました!
(text、photo:西村)
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