海外ワークショップから地元・亀岡のツアーまで!「齋田石材店」が親子で繋ぐ、京石工芸品のバトン

「カンカンカンカンカンカン」
一定のリズムを軽快に刻む、澄んだ高音が響くこちらの工房。

京都府亀岡市にある「齋田石材店」さんにやってきました!
石燈篭など、国の伝統的工芸品である京石工芸品の制作や、墓石の販売、加えて近年は海外進出や、新商品開発、地域の観光の取り組みなどもされています。

今回お話を伺ったのは、5代目の齋田隆朗さんと、息子の齋田海音さん。
(以下、下のお名前で書かせていただきます。)
彼らの肩書きは「石工(いしく)」。かっこいい名前で憧れてしまいます!
息子の海音さんは、昨年12月頃にアメリカ留学から帰国したばかり!
変化を続ける齋田石材店さんにたっぷりとお話を伺いました。

こんにちは!しゃかいか!インターン生のかずなです。
私は伝統工芸に興味があり、しゃかいか!の取材でもいくつか工房を回らせていただきましたが、石材店さんは今回が初めて。
「外国にバンバン行っていて面白い工房がある」と噂を聞き、齋田石材店さんに出会いました。
今まで石工芸にはほとんど接点がなかったため、「石はどうやって形を加工されているのだろうか?」「石って重いだろうにどうやって外国に行ってワークショップなどをされているのだろう?」と興味がどんどん湧いてきました。
石材屋さんの仕事ってどんなものなのか?齋田石材店さんはどんな取り組みをされているのか?
海外進出に新商品に観光と、動き続けるお2人の原動力とは?などなど、たっぷりお伝えします!
これを読めばきっとあなたも石マスターです!
京石工芸品の仕事場を見学!シンプルだけれど奥深い、石の加工の技術とは?
まずは作業場の見学!石って、どうやって形が変えられているのでしょうか?
私は小学生のころ、通信教育の勾玉づくりで石を削ろうとしたものの、硬すぎて途中で挫折した記憶があります...。
お話を聞くと、石をカットした後はノミとハンマーでとにかく叩く!とのこと。昔から変わらない方法なのだそうです。
もちろん様々な手順や道具がありその技術は高度であるものの、シンプルさに驚かされました!
かかる期間は、小さい置き燈篭で1週間ほど、大きい背丈のものだと3か月ほどだそうです。3か月間同じ燈篭と向き合って叩き続けるなんて、とても根気強くないとできないことだなと思います。

一同、外の作業場へ。実際に石を叩く作業を見せていただきました!
作業場は、ガレージのような、半屋外の空間。珍しくしゃかいか!ヘルメットも馴染んでいる気がします。
これは石の粉がたくさん舞ってしまうからなのだそうです。夏でも常に開けっ放し。
「冬は寒くて、夏はまだまし」とおっしゃってはいましたが、もし私だったら夏に汗だくになっている未来が見えます...職人さんたちはすごいです!

今回は、「つくばい」という、庭園に設置して中に水を入れ、手を清めるために使うものの仕上げ作業を見せていただきました!
♩=138くらい(back numberの『高嶺の花子さん』くらい)、一定のリズムで、ノミを打ち続けます。
海音さんは、石工になってまだ3ヶ月ほど。これは海音さんが最初に作っている作品なのだそう。
本当に初めて!?と思うくらい、ノミを打つのにためらいがないように見えます。3ヶ月の修行でみっちり叩いてこられたのだろうなと感じました!
ずっと叩き続けて、筋肉痛にならないのかな?と思いましたが、やはり最初は筋肉痛になったそう。しかし、私の予想とは違い、叩く方の右腕ではなくノミを支える方の左腕が痛くなったそうです。
叩く場所がブレないようにするために、けっこう力がいるのでしょうね!
また、石によっても加工のしやすさは変わるのだそう。
石には「柔らかさ」の他に「粘り」という概念もあるのだといいます。柔らかくても、粘りがあると全然加工のしやすさが変わってくるのだそうです。

職人さんが使い込む道具が見れるのも、工房見学のワクワクポイント!
昔から形がほとんど変わらないといいますが、進化もあります。
たとえば、これまでノミの先は鉄が主流でしたが、タングステンをつけるように変わったのだそうです。タングステンは鉄より強いため、長持ちします。
ちなみに、鉄を使っていたころは、石工自らがノミを手作りしていたそうです。
そのため、11月8日に「鞴(ふいご)祭」という、鍛冶屋さんたちのお祭りがありますが、石工さんたちにもその習慣があるとのこと。
鞴とは火を起こしたり火力を強めたりするために用いる送風機で、鞴祭はその守護神をまつるお祭り。当日は鍛冶屋も石工も1日仕事を休んでお祝いをします。
道具に感謝する昔ながらの習慣が続いていること、石工さんまでもがそのお祭りを大切にしていること、とても素敵だなと思います。
他にも、工房にはならではの物がたくさん!

こちらの真ん中の紙、大量の数字の羅列は何でしょうか?
数学アレルギーの方いらっしゃったら、ごめんなさい。
この数字は数学の計算プリントではなく、むしろ計算をしなくてよいようにするためのものです!
数字は3つ1組になっていて、六角形の寸法を表しています。灯籠などでよく用いる六角形、どんな大きさのものでも、計算せず1発で書けるのだそうです!
何年も前の方が書いて、ずっと大切に使われているのだろうなと思いを馳せてしまいました!
京都の石燈篭の特徴とは?見方・楽しみ方を学びます!

齋田石材店さんの庭には、石燈篭がたくさん。
隆朗さんが作ったものもあれば、先代たちの作品もあるそうです。
齋田石材店さんは創業約130年とされていますが、それが分かったのも燈篭から。
書類などには残っておらず、外にある燈篭の中で一番古いのが120年以上前のものだったため、少なくともそのころからあるとわかったのだそうです。
代々の積み重ねが、工房前の石燈篭たちから感じられますね!
さて、京都の石燈篭の特徴とは、どういったものなのでしょうか?齋田さんの石燈篭からひも解いていきます。

大きな特徴の一つは年月が経ったかのような仕上げをすること。
最初は立っている角を、以下の写真の左から2番目のような尖った突起のたくさんついたハンマーでたたいて丸めます。

それも綺麗に丸く仕上げるのではなく、年月とともに雨風で風化した後のように加工するのだそうです。
他の産地との比較だと、栃木の真壁は京都と似た感じであるものの、香川の庵治は対称的。角がビシっとしているだけでなく、面もノミでたたいた凹凸のある仕上げとは異なり「叩き仕上げ」という比較的滑らかな仕上げをほどこすのだそう。また、庵治や島根の出雲は彫刻が綺麗にほどこされているのも特徴です。
旅行先で燈篭の違いに注目したくなりますね!
また、石自体の形を古く見せるだけでなく、このように苔もついているほうがより古く趣のある印象になるので好まれます。

そのため、齋田石材店さんでは人気のある型を事前に作っておいて、苔むすのを待ち準備しているのだそうです。
苔にまで古さを求めるとは!中古という概念がないからこそ生まれる趣向なのかもしれない、と想像しました。

京都の石燈篭には、「本歌(ほんか)うつし」をするという特徴があります。「本歌」は和歌の技法で用いられる「本歌取り」と同じく、すでに確立された型、過去に作られた綺麗なもののことです。こちらは大徳寺の高桐院にある「高桐院型」で、隆朗さんお気に入りの形なのだそう。
新しいデザインを作って流行を生んだりするわけではなく、鎌倉時代や室町時代に作られた本歌を選んで模倣します。
模倣をするとは、具体的にどういうことなのでしょうか??
隆朗さん曰く、一つのやり方として、実物の寸法を測らせてもらうのだそう。
お庭や寺社に行って燈篭の寸法を測っている人を見かけたら、それは石工さんかもしれませんね。
造園屋さんからの注文も、「〇〇型で」といった形で指定されるのだそうです。
主要なものだけで40以上あるという本歌を把握し、再現するには相当な技術力や観察眼が必要とされるのだろうなと感じます!

実は、この高桐院型にも面白いストーリーが!
本歌の燈篭はもともと千利休が大事にしていたもの。しかし豊臣秀吉に気に入られ、「欲しい」と言われてしまいました。断るなら切腹しなければならないという状況。
千利休が下した判断は、「大事な笠の一部を自ら割ってしまう」というものでした。
「こんな欠陥品はお譲りできません」と秀吉に伝え、難を逃れたのだそうです。
後に千利休が切腹したあと、形見として細川三斎に贈られて、高桐院で彼の墓石になっているのだそうです。
断ったら切腹させられる時代にも、一部を壊してまで手元に置きたいと思う利休さんの心にも驚かされます!これからは燈篭を見たらその本歌の裏にはストーリーがあるのだろう、と思いをはせたくなりました。
また、彫刻も燈篭の見どころの1つ。寺社などに行くとひとつひとつ異なる彫刻がされていたりします。その多くには大切な意味が込められています。

こちらは「蕨手(わらびて)」。蕨は仏教界で咲くと縁起がよいものと捉えられているのだそう。利休さんが割ってしまったのもこの蕨手です。

また、蓮の花の彫刻もよく見られます。
これは、蓮の花が沼地から綺麗な花を咲かせるくらい、芯がまっすぐという点から仏教界で使われているからです。意味のこもった彫刻、要注目ですね!
他にも変わった燈篭が!

こちらは「織部型」。

足元にご注目。人型の彫刻が見えますね。この方、聖母マリアなのだそう。
これは地面に直接埋めることで立っているタイプ。
キリスト教が禁止だった時代、隠れキリシタンがミサに用いていたのだそうです。普段は彫刻の上まで地面に埋めておき、お茶会に見せかけた礼拝の時だけ地面を掘りました。
まさか燈篭に信仰を隠しているとは、取り締まる人もなかなか気づかなかったでしょうね!
工房の周辺ツアー!1500年の歴史を持つ地域は石とどう関わってきたのか?

齋田石材店さんが店舗兼作業場を構えているのは、京都府亀岡市曽我部町。
西暦500年ほど前から残っている古墳が100基くらいあるほど、古くからある街です。

この地には大阪と京都の境にある山を越える道、摂丹街道が通っています。そのため表札や燈篭、神社や鳥居などが昔から石で作られてきました。
また「法貴石(ほうきいし)」という良質な石がたくさんとれたことからも、石工芸に関わる職人が多くいました。なんとこの地域の石工の歴史は1500年!

今ではたった1軒となった亀岡の石工芸を受け継ぐ齋田さんが、周辺の石スポットを案内してくださいました!
さて、最初に見えてきたのはこちら!

立派な石の鳥居です。

読めますでしょうか?
そうです、これは齋田石材店さんの2代目、隆朗さんの曾祖父にあたる方が作られたもの。
いくら石が近くで取れるとはいえ、この大きさのものを運ぶなんて、想像がつきません!

奥には石に関係する神様を祀る神社があるということで、歩みを進めます!

道中でも石がたくさん見られます。

この中央の大きな石は、「磨崖仏」という仏さまが彫られたもの。
動かない石に彫られることが多く、行き来する人の安全を守ったり、地域が安定して栄えることへの願いが込められています。
周りにあるのは、山から持ってきた昔の人の墓石なのだそう。歴史が詰まっていますね!
人々と石が密接にかかわってきたここ亀岡ですが、法貴石は3代目である隆朗さんの祖父の頃に枯渇してとれなくなりました。
今は瀬戸内海の島からとれる石を使うことが多いそうですが、閉山していく山も多数。
そこで齋田さんは石の再利用にも取り組んでいらっしゃいます。
昔よく石がとれたこと、城下町があったことなどから、亀岡には石が使われた建築物がたくさんあります。家をつぶす際などに破棄される石垣も少なくありません。
今までそういった石は産業廃棄物として処理されていましたが、それはもったいない!ということで、引き取って使える分は再利用されているのだそうです。


ついに目的地へ到着しました!

野山の神である国狭槌命(くにさづちのみこと)を祭る、国狭槌神社です!
毎年1月15日には石や建築に関わる人たちがここに集まってお参りするのだそうです。

石碑や、

苔のびっしりついた大きな石と、境内にもたくさんの石が!

注目していただきたいのは、この鳥居。

上に何か載っていますね。
これは人が投げて乗せた石たち。物事の決定や、運試しに使われてきました。
ちなみに隆朗さんは、まだ一度も乗ったことがないのだそう。なかなか難しそうですね!
地域の方々が長い間、石とともに暮らし、大切にしてきたことが感じられるツアーでした。
この工房周辺のツアーは、工房にお客さんが来られたらいつもされているのだそう。地元亀岡の観光にも一役買われています!
石の加工場を生で見てみたい!地域の歴史を詳しく知りたい!という方はぜひ足を運んでみてください。
京都で石燈篭を作るのはたった数軒!京石工芸品を支える齋田石材店
ここからは齋田石材店のお仕事などについて詳しく伺っていきます!

みなさんは、「石材屋さん」ってどんなイメージですか?
私は車で走っているとたまに見かける、石がたくさん並んでいる場所というイメージでした。
齋田さんによると、石材店は京都市内含めいろいろなところにあり、大体は墓石の小売店なのだそうです。作っているわけではなく、仕入れた石を売っているお店だったとは、意外でした!

齋田石材店さんは墓石の小売りもされていますが、主な仕事は石燈篭といった「京石工芸品」の製作。
京石工芸品とは、平安遷都より京都府で生産される伝統的工芸品。石燈篭や鉢といった主に庭園向けのものが作られます。
1人の石工がほとんどの工程をこなすことも特徴と知ったときには驚きました!
日本に残っている石燈篭の産地は京都のほかに栃木の真壁、愛知の岡崎、香川の庵治、島根の出雲など。そのうちの一つが京石工芸品です。
京石工芸品の伝統工芸士さんは5代目の齋田隆朗さんを含め現在わずか11人!高齢化も進んでおり、去年までは隆朗さんが最年少だったそうです。
しかも普段から京都で石燈篭を作っているのは齋田さん含め数軒のみ!齋田石材店さんは京石工芸品において貴重な存在なのですね。

伝統工芸を受け継ぐ職人さんで、130年続く企業の5代目というと、お堅くて話すのに緊張してしまうのかな...と思ってしまうかもしれませんが、その心配はありませんでした!
隆朗さんは、息子の海音さん曰く「話し出したら止まらない」。
取材でも、ひとつひとつの質問に対してたくさん教えてくださり、「ほー!」が止まりませんでした!
五代目の隆朗さん。家業の見方が変わったのはサーフィンがきっかけだった!?
家族代々の工芸と聞くと、私が気になってしまうの「伝統産業を受け継ぐってどんな気持ちなのか?」
父の隆明さん、息子の海音さんの答えはそれぞれで、私にとっては驚きでした!

まずは5代目の隆朗さん。
もともと家業に入ろうと思われていたのではなく、「最初は石工の仕事はちょっと地味に感じていた」のだそう。
意外にも若いころはヤンチャな一面もあったそうで、当時そういったタイプの方々が多く働いていたという、建築関係の仕事(とび職)を経由して家業に入られました。
とび職と比べても石工の仕事は地味と感じながら続けていたそうですが、石に対する気持ちが変わる転機が。
それはお父さまのお言葉...などではなく、なんとサーフィンでした。
それも大会に出るほど熱心に取り組まれていたのだそう。
サーフィンをするにつれて自然について考えるようになり、石の存在についても自然そのものと感じるようになったそうです。

地球は石、大きな岩盤があり、その上に土がのっていて、木が生えていて、人が住んでいる。このように、石に対する見方が変化したといいます。
サーフィンをきっかけに石を単なる材料としてだけでなく、地球を支える壮大な自然の一部と捉えるようになったと想像すると、かなり大きな変化ですね!
海なし県の埼玉育ちの私はサーフィンに馴染みがなかったのですが、自然を体全体で感じて考え方も変えられるようなスポーツなのだと驚かされました!
期待の新星、海音さん!留学で見つけた石工のかっこよさ

齋田石材店の5代目、隆朗さんの息子の海音さんは、なんとアメリカ留学を経験されています!
2年間アメリカの大学でビジネスを専攻。その後1年間、現地の日本庭園で造園業のインターンをして帰国されました。
私はそれを聞いてビジネスを専攻したのは家業を継ぐのを意識してなのかな?と思っていたのですが、実際はもともと継ぐつもりはなかったのだそう。
小学校から高校までずっと野球をされていたのもあり、お父さんの仕事もあまり見たことが無かったのだそうです。
どんな経緯で留学されて、家業に入られたのか詳しくお聞きしました!
留学の最初の地は、アメリカの北東部、五大湖の近くのシカゴ。きっかけは父の隆朗さんのお仕事でした。
もともと隆朗さんはアメリカの日本庭園と連携してワークショップなどを行っており、シカゴの郊外にある日本庭園と仲が良かったそう。

海音さんが高校生の頃、隆朗さんが「その庭園の近くの学校に通いながらボランティアしたらいいんちゃうか」と提案。海音さんも興味が湧き、留学に行くことにされたのだそうです。
繋がりから魅力的な経験ができるなんて羨ましい!と思いつつ、私が高校生の頃は海外の大学なんて思ってもみなかったので、留学を決意される行動力はすごいなと驚かされました!
コロナにより1年間のオンライン授業を経て渡米。シカゴの生活は、庭園で文化イベントが少なくボランティアの機会が少なかったのと、「寒かった」のだそう。なんとマイナス20度を下回る日も!

シカゴで1年過ごしたのち、南西部のアリゾナで2年間。アリゾナは気候も良く、アリゾナでの文化イベントや隆朗さんが行う他の地域でのイベントにもお手伝いで参加されていたそうです。

異なる地域での生活は学びが多そうですし世界観が広がりそうですね!

アメリカの文化に触れてカルチャーショックもあったそう。その1つが「アメリカの人はめちゃめちゃ喋る」ということ。というのも、アメリカでは授業中に生徒が意見を言いすぎて授業が進まないことがよくあるのだそうです。日本とは大違いですね!
海音さんが石工になりたいと思ったのもアメリカ留学での経験から。アメリカから日本を見て、日本文化がかっこいいと興味を持つようになったのだそうです。
日本庭園でのボランティアやインターンをするうちに、石工の仕事をやっていきたいと決心されました。
石工の修行の世界とは?親子で受け継ぐ技術
取材時は帰国してから3か月弱、まさに「はじめたて」の海音さん。
日本語・英語間の通訳のお仕事もしながら、石工の修行をされています。

石工の世界では、どのように技術を習得するものなのでしょうか?
親子間で教えるというのもなかなか難しいイメージ。
齋田石材店さんでの修行について聞いてみました!
一言でいうと、「石をひたすらたたいて感覚をつかむ」のだそう。
父の隆朗さん曰く、「ずっと横についていても伝わらないし、やってみないと分からない」とのこと。隆朗さんがお父さまから教わったときと同じく、海音さんにも最初に概要を説明してから、あとはやって覚えてもらうというスタイルなのだそうです。
トーク力豊かな隆朗さんなので技術もみっちりと教えてらっしゃるのかなと思っていたのですが、作業中は2人とも無言だそう。職人さんって感じがします。ギャップ萌えしてしまいそうですね!
また、いちばん最初に行うのは、平面を作る工程。シンプルそうですが、広い面に対して先の細いノミで均一な面を作るのを想像するととても難しそう。私なら高いところを削ったら低くなりすぎて、を繰り返すうちに削りすぎてしまいそうです!
海音さん曰く、実際にやってみると「けっこう難しいけれど、楽しい。」とのこと。気がついたら午後の1時になっていた、なんてこともあるのだそうです。

これに父の隆朗さんの反応は、「へー楽しいんや、すごいな。」
普段はこういった会話はあまりされないようですね。
海音さんは元々野球をされていて体を動かすのが好きだったり、電気工事のアルバイトをするなど何かを作るのも好きだったそうで、石工芸を楽しまれている様子が伝わってきました!
対して隆朗さんは石燈篭などをつくるとき、最初は憂鬱なのだそう。理由は「硬いから。」
このブロックを相手するのかと思うと憂鬱になるけれど、7割くらいできてきたらだんだん気持ちが入ってくるのだそうです。
乗り越えて完成したときの達成感はやみつきになってしまいそうだなと想像しました。
「一人前の職人になるには何年かかるのか?」伝統工芸の世界でよく出る質問かと思います。
石工の場合、何をもって一人前というのかによって変わるそう。
5年で最低限の技術は習得できるものの、立灯篭を作るには10年かかるそうです。
いずれにしても長い道のり。やはり長い年月をかけて技術を磨き続けている職人さんはかっこいいです!

「外国にバンバン行っている」という噂の真相。齋田石材店の海外進出
私が齋田石材店の大きな特徴の一つだと感じているのは、冒頭でも触れたとおり、外国によく行かれていること。
取材のお願いをする前にも、「今はアメリカにいらっしゃるみたい」といった話をよく聞きました。
齋田石材店さんの仕事として行くこともあれば、仲間のサポートで行くこともあるのだそう。

石の仕事として行くときは、現地の日本庭園など日本文化に興味がある人たちのコミュニティに行って、お話をしたりワークショップなどをされています。イタリアのローマ大学でデザインを専攻している学生との共同開発も!
直近だと2025年5月にアメリカのオクラホマで、京石工芸品を紹介するブースを出されたそうです。
石は現地のものを使ったり日本から運んだり。重たいのに運べるのかな?と疑問でしたが、費用さえかければば送ってくれるのだそう。やろうと思えばなんでも出来る時代なんだなぁと感じました!
仲間のサポートというのは、2023年に立ち上げられた「一般社団法人Linked Artisan」の活動。
アメリカの日本庭園やその協会と連携を結び、それぞれのエリアの日本コミュニティの方に向けてマーケティングを広げていく取り組みです。日本から職人を呼べることは、現地のガーデンにとっても価値があります。

2025年1月にはアメリカのカリフォルニア、サンディエゴで堤淺吉漆店さんのワークショップのサポートへ行かれていました。
隆朗さんが海外に目を向けるようになったきっかけは、またもやサーフィン。旅好きだったのもあり、インドネシアなどへサーフィンをしに行かれていました。
そこで感じたのが、日本を他国から見る視点。日本の工芸の独特さや貴重さを感じたのだそうです。それが2000年代初めのこと。
2005年から2006年頃にウェブサイトを立ち上げると、イタリアからお誘いが!
この時に、海外から見ると日本の工芸に価値があるだろうという感覚が核心に変わったのだそうです!
今から20年も前からとは、その早さに驚かされました!
その後は繋がりが繋がりを呼び、海外へ行く機会が増えてきました。

外国で注目されるのは、「伝統工芸士」といった肩書きよりも「五代目」であることや、石の歴史が1000年以上続いていること。
「アメリカの国の歴史より長いやん!」と驚かれたり、イタリアでは歴史が長いとはいえ修復などの工事が多く、新しくものをつくるの職人が減ってきていることが多いため、石工芸が今でも続いていることに感心されたりするのだそうです。
物自体だけでなく、歴史や文化の背景も必ずセットで伝えられています。
齋田さんは技術を生かして小物の製作もされており、

机上にも置けるキャンドルホルダーや、

石で作られたお菓子皿「明々」などさまざま。
隆朗さんは、「ゆくゆくは石燈篭とまではいかずとも石の小物などを海外に向けても売っていけたらな」、「海音さん一人でも外国での仕事に行けるようになったら」と展望を語ってくださいました。
「日本の若者にもカッコいいと思ってもらいたい!」海音さんが見据える今後
たくさんの学びがあった取材はあっという間でした。
石がどのように加工されているのか?どんなふうに海外進出されているのか?興味津々だった私はお話を伺えて大満足でした。
印象的だったのは、私と同世代である海音さんが石工の世界に入られていくさま。

将来は「めちゃめちゃでかい、3メートルくらいの燈篭を作ってみたい。」と野望を語ってくださいました。
また、伝統工芸を作る家で育つ中で同世代の友だちが伝統工芸に馴染みがないことを感じ、
「日本のものなのに日本人はあまり知らない。海外もですが、日本の若者にもカッコいいと思ってもらい興味を持ってもらえるような活動が出来たら」とおっしゃっていました。
今までもさまざまな挑戦を重ねてきた齋田石材店さん。海音さんの加入によって、これからどんな変化をされていくのか、目が離せません!
齋田隆朗さん、海音さん、楽しいお時間をありがとうございました!!

齋田石材店
京都府亀岡市曽我部町法貴寺縄壱38番地の1
Web:https://saidasekizai.com
Instagram:@saida1902_official
text:竹村和菜、photo:本田コウイチ
関連するキーワード