生産農家と売り手がタッグ!釜炒り製法の嬉野茶 山輝園

嬉野の風景
佐賀県嬉野市にきています。

嬉野温泉はかつては九州への新婚旅行の定番で60~70代のご夫婦では行った方も多いはず。現在でも年間100万人以上の観光客が訪れています。産業の中心はこの観光業と農業、そしてお茶の産地として有名!

嬉野の大チャノキ
大チャノキ
嬉野茶の始まりは、500年ほど前の明の紅令民という人が南京釜を持参し不動山に住みつき、釜炒り茶の製法を伝えました。これが嬉野茶の始まりと云われています。

茶の栽培は吉村新兵衛さんが江戸初期に始めたとされ、不動山地区には、国の天然記念物に指定された樹齢300年を越える!嬉野の大チャノキがあり、茶業発祥の地として知られています。

山輝園の看板
山輝園(やまきえん)さんを見学。

山輝園のお茶
さっそくお茶が出てきた!
いただいたお茶は釜入り茶。旨味があり、良い香りが鼻を抜けていきます。喉ごしもスキッとしています。

手のひらにお茶っ葉
嬉野茶伝統の「釜炒り製法」
現在日本で生産されるお茶のほとんど(9割ほど)は蒸し茶と呼ばれる、生葉を蒸して造られるのですが、山輝園では伝統の「釜炒り製法」を採用。まが玉の様な形状のお茶っ葉になります。
葉っぱを手揉みを繰り返して、火を強く入れて釜で炒ることで、日持ちがよく、黄金色のお茶になります。グリグリ揉むことでお茶の成分密度が濃く固くなり、三煎目、四煎目でも美味しくいただけます。別名グリ茶!

山の霧
湿度と寒暖差が嬉野茶を育てます。
この日も出ていた霧。この湿度と嬉野盆地を流れる清流、澄みわたった空気、それにふりそそぐ太陽が嬉野を育てています。

山輝園の社長2
山輝園の創業は1973年(昭和48年)。社長の伊藤輝博さんが22歳で立ち上げました。
これまでは流通が強く、全国規模チェーンやローカルのスーパーさんに卸していましたが、近年の不況と最近はペットボトルのお茶ドリンクに押され気味でお茶の需要自体の減少と合わさって厳しい状況です。しかし、自社のオリジナル商品の開発やショップの出店など、新しい取り組みを積極的に進めています。
老舗を継いだ同業の同級生は「うちは暖簾に縛られて脱皮できないけど、初代だから好きなことができていいね」と言われます。

山輝園のラインナップ
山輝園のお茶ラインナップ。

紅茶の石けん
紅茶の石けんも販売しています。

山城園の社長3
「とりあえず、飲んでみらんね!」
もともとお茶は九州から関西、関東へと伝わっていったのですが、最近は知名度がないのが悩み。営業先でも「九州でお茶って作ってるんですか?」と聞かれることもあるとか。
そんな時は「とりあえず、飲んでみらんね!」とお茶を味わってもらいます。

山輝園の社長
お椀に注ぐと「おいしそうな香りがいいね〜」と言われ、実際に飲んでもらうとその豊かな旨味に驚かれるそう。嬉野茶の特長はなんといっても、この鼻に抜ける香りと旨味。
少しずつ味をわかっていただいて、この積み重ねが徐々に評価されていくと信じています。

北野さんの話3
お茶農家の方が手伝っています
もう一人、お話してくれたのは北野さん。実は北野さんは山輝園の社員ではなくお茶農家の人。
お茶の生産の時期は3月下旬から秋にかけて。これ以外の手が空いている時期は、同級生の二代目がいる山輝園のお手伝いをしています。製造のお仕事はもちろん、外部の交渉や販売企画、商品開発のアイデアなどやることはいろいろです。

北野さんの話1
もともと服の買い付けをやっていました。
北野さんの実家はお茶農家ですが、もともと家業を継ぐ気持ちがあったわけではありません。北野さんは学校を卒業後、スポーツインストラクター、福祉関係のお仕事の後、自分のお金で洋服のお店を東京の原宿に開店、古着の仕入れに海外に買い付けなどにも行っていました。当時の住まいは三軒茶屋(ダジャレではなく本当!)
兄弟から電話がかかってきたのは3年前くらい。農家をやりながら、閑散期にはネットで洋服の直販もできるかも、といった軽い気持ちで最初は帰って来ました。今はお茶の世界にどっぷり浸かっています。

ごあいさつした時は、お茶の工場で働く農家の人とは思いませんでした。
経歴のお話を聞いて納得!

北野さんと記念ショット
車で5分ほどで工場に到着。イェイッ!

冷蔵庫の中
冷蔵庫の中にお茶の葉が保管されています。

生茶の説明
相葉
これが生茶。お茶の農家から仕入れたままの状態で、艶があり目が細かく形が整っているものが良いとされます。この生茶を揉み乾燥させたものを荒茶(あらちゃ)といいます。

この荒茶はまだ本茶と茎の部分、粉の部分も混ざっていて選別する必要があります。

上から投入
サイズの選別

サイズで選別するフルイ
網で大きさをふるい分けていきます。

選別マシンを説明する北野さん次に色彩選別機で本茶と黄葉と青茎の部分に分けていきます。

スイッチオン
スイッチオン

マシンに投入
投入し、

選り分けのぐるぐる
グルグルグル…とほぐしていきます。

センサーで選別
選別の仕組みは色。センサーで色彩を感知し、エアーで青茎を選り分けていきます。

本茶が落ちてきます
本茶が落ちてきます美しい

本茶としらおれに分かれる
本茶(左)と茎の部分(右)に分けられます。

本茶
選り分けられた本茶。艶があって大きさが揃っています。
ちなみに茎の部分も独特の味で「白折茶」といって珍重されるんですよ。

乾燥機
さらに遠赤外線火入機へ。

茶太郎パネル
名前は「茶太郎」といいます。
この火入れは風味を引き出し、渋みを消して甘みを出すための工程。味を調節するのもこのステップ。作り手の鼻と舌、その日の気候で決めます。火入れは乾燥している方が水分を調節しやすいので、冬場が適しています。「雨の日は嫌!梅雨はサイアク!!工場に行きたくないくらい」

茶太郎が起きた!
茶太郎に登るヴオンブヴーン〜。「起こした?」みたいな感じで動き始めます。
茶太郎ににかける時間は作りたいお茶によって調節しなければなりません。
香りを出したい時には火を強めにし、色を残すのであれば、ゆっくりと火は弱めに。
完全に水分をとばしてしまうとほうじ茶(こげ茶ともいいます)になります。

焼かれていく
この中を通ってゆっくり火が入ります。

火入れされた茶葉
火が入った茶葉。
北野さんの好みは冬の新茶。
新茶は秋がおいしい、と言われることが多いのですが、冬の時期(1〜2月)に一番「味がのって」います。秋は甘みと香りを楽しむ時期なのだそうです。

茶喜呼
粉茶の方は小さいドラム「茶喜呼(ちゃきこ)」で火入れ。
だいたい60℃で20分くらい。こちらは湯気をみて調整します。

お茶ラインナップ
こうして選別、火入されたお茶はパッケージされ、玉緑茶として山輝園に並びます。

北野さんの話2
嬉野に戻ってきてこの世界に入った北野さん。「茶業青年会」に入りました。当初は、うれしの茶のローション(お肌にいいし!)やエスプレッソとして海外に売り出すなど、新入りだからこそのアイデアをバンバン出したり、行政と協働するためにかけあったりしましたが、なかなか前に進みません。冷ややかな目で見られ、小僧扱いもされました。

北野さん工場で説明
しかし、生産者である北野さんが山輝園に来たのはもともとお茶栽培の閑散期のお手伝い。
製造の方法とともに売り手側の事情も知ることができました。
お手伝いの範囲にとどまらず最近は、自社商品の開発や地元の小学生にお茶に親しんでもらう会(北野さんいわく「味を覚えさせるマクド○ルド戦略!」)の開催や地元のサガントスの嬉野PRデーでの試飲会など、積極的に動き回っています。

お茶っ葉ふりかけ
北野さんが考えたお茶っ葉ふりかけ。

マシンと北野さん
最近は、お茶のことだけではなく、他の業界とのコラボやイベントなど企みも進行中!

社長と北野さん
伊藤社長と北野さん、今日はいっぱいお話しうかがえて有難うございました。
新しい企画楽しみにしています!

【詳細情報】

有限会社 山輝園

電話番号:0954-43-3360
住所:佐賀県嬉野市嬉野町大字不動山甲455-1
URL:http://www.yamakien.jp/

(text:西村、photo:市岡)

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