「ハタフェス」10年目の現在地。立ち上げ人が語る、変化し続けるイベントと日常をつなぐ織物産地のあり方【山梨・富士吉田】

富士山のお膝元、山梨県・富士吉田市。
清らかな湧き水に恵まれたこのまちでは、千年以上にわたって機織り産業が育まれてきました。
その産業の魅力を広く伝えようと、2016年からはじまったのが「ハタオリマチフェスティバル」、通称「ハタフェス」です。
しゃかいか!では、開催初年度からその動きを追い続けてきました。

私がはじめてハタフェスに足を運んだのは、前回(2024年)の取材がきっかけです。
大きな富士山のもと、まちを誇りに思う出店者さんたちの顔、機織りの技術と暮らしがごく自然につながっている風景。関わる人々がこの街を、このイベントを愛していることが、ひしひしと伝わってきて、私もすっかりハタフェスの大ファンになりました…!
だからこそ、その取材の中で聞いた言葉が、ずっと心に残っていました。
「役目は果たせたのかもしれない」「10周年おめでとう、で終わるのかも」
取材の中で、発起人たちの口から漏れていた「終わり方」という言葉。
それぞれ別々にお話を聞いたにもかかわらず、同じ言葉が出てきたことが気になっていました。
あれから1年。節目の第10回を迎えたハタフェスは、過去最高の盛り上がりを見せながらも、どこかこれまでとは違う、静かで確信に満ちた空気を帯びていました。

「終わり」を意識していた彼らは、10年目の秋に何を想い、この先をどう描き直したのでしょうか。
発起人4人へのインタビューから、富士吉田の今をひも解いていきます!

ハタフェスを支え続ける4人のキーパーソン
「機織り」という伝統産業に焦点を当てたイベントが10年続いてきた背景には、その中心で関わり続けてきた4人の存在があります。
まずは、ハタフェスの立ち上げに関わり、現在もそれぞれの立場から運営を支えている発起人の方々を紹介します。

土屋誠さん
クリエイティブデザイングループ「BEEK DESIGN」代表。2013年に東京から地元山梨にUターンして以来、山梨の人や暮らしを伝えるフリーマガジン「BEEK」の制作をはじめ、編集とデザインで山梨の魅力を発信する仕事を続けています。ハタフェスの立ち上げ人のひとりで、現在も広報・企画・運営・デザインディレクションなど幅広い面からイベントを支えています。

藤枝大裕さん
服飾専門学校を卒業後、撚糸メーカーで企画や営業を経験。その後「手紙社」に入社し、「布博」など人気イベントの立ち上げや運営に携わりました。独立して山梨に移住した後は、テキスタイル・ファッション業界の人脈とイベント経験を活かし、第1回目からハタフェスの企画・運営に深く関わり続けています。

赤松智志さん
合同会社OULO代表。地域おこし協力隊として富士吉田市に移住後、宿泊施設「SARUYA HOSTEL」の立ち上げや「NPO法人かえる舎」の副代表を務め、現在はまちづくりやコミュニティづくりを軸にした事業に取り組んでいます。この街に根をはって活動をしながら、街とハタフェスの関わりを支える発起人のひとりです。

勝俣美香さん
富士吉田市役所 富士山課所属。2015年に富士山課へ異動し、2016年のハタオリマチフェスティバル(ハタフェス)初開催時より、行政委託事業としてその企画・運営に携わっています。また、飲み屋街「西裏」の活性化事業や、テキスタイルとアートを融合したイベント「Fuji Textile Week」など、地域資源を活かした新たな取り組みを推進しています。
土屋さんが全体の企画や表現の軸を担い、藤枝さんがテキスタイル業界との接点を広げ、赤松さんが地域との調整を行い、勝俣さんが行政側の事業推進を担う。
異なる立場と視点を持つ4人が、それぞれの領域を尊重しながら関わり続けてきたこと。その積み重ねが、このイベントの土台になっています。
今回は、みなさんに、10周年を迎えた今あらためてお話を伺いました。
まちはどう変わった?10年目に考えたこと
——この10年やってみて、今の気持ちとしてはどうですか?

勝俣さん: すごい感慨深いですよ。
今年はレセプションパーティーのときから、皆さんに「10周年おめでとうございます」ってすごく言ってもらって…。みんながハタフェスに思いを持って出展してくれてるんだなっていうのが、今年は特にすごく感じるんですよね。
事務局も「10周年だね」っていう思いはもちろんあるんですけど、それを今回あえてあまり形にはしなかったんです。それでも出展者の人たちが、花火を上げてるわけでもないのに「10周年おめでとうございます」って言ってくれる。なんだか温かい気持ちにさせてもらっている感じです。

土屋さん:今年はハタフェスを楽しんでくれる一般のお客さんが、県外からもすごく多い印象で、それは単純に嬉しいなと思っています。
いつも通りのハタフェスで、10周年だからといって、何かすごい特別なことはあまりしてないんですけど。
出店者や会場がちょっと増えて、それを街歩いてる皆さんが楽しんでくれてる風景は……ハタフェス自体が「普通」になってきた感覚というか。
まあ言ってみれば、ハタフェスって特別な日じゃないですか。
でも、お客さんから「毎年この感じだよね」とか「この人にまた会えた」とか言われたり。毎回お弁当出してた出展者さんが今回はホットドッグを出してて「今年はお弁当ないんですか?」って聞かれたりとか。そういうのはお客さんがリピーターだからこそ言われることですし、嬉しいですね。
10年目を迎えて、ハタフェスが街に馴染んだという感じがしてます。
——「10周年だからといって特別なことはあまりしてない」というお話がでましたが、どんな議論をされたんですか?

藤枝さん:「10周年、何やる?」ってなった時に、「でも、何か特別なことをやるのは違うよね」っていう話になったんですよね。
もともと僕は「10周年を記念するならそれなりに何かやらなきゃ」って思うタイプで。それこそ「有名人を呼んで映画を作る」みたいな(笑)。
でもね、「有名人を呼んで何か特別なことを10周年だからやる」っていうよりは、やっぱり「今までやってきてくれた人たちへの感謝をどう伝えるか」の方が大事なんじゃないかという話になりました。
派手なPRじゃなくて「今までやらせてもらってきた人たちを大切にしよう」というのが最初の議論でした。
土屋さん: いつもの通りのハタフェスで。10周年なりのムービーを作ったりポスター展をやったりはしていますが、気持ちはいつも通りやれたらいいね、ぐらいの感じで。

土屋さん:10年やってきて今があるから、それを劇的に変えたいってこちらが思うのも、なんか違うかなと思うようになりました。
お客さんが楽しんでくれて、機屋さんに売れる場があって。歩行者天国になったら、ハタフェスとは関係なく街の人が自分たちでお店を出してたりもして(笑)。
知らないことが年々増えてくるんですけど、それもいいなと思っていて。街の人がこの日を認識してくれているんですよね。
—— ハタフェスが日常の自然な風景になっているというのは、参加者としても感じます。「あえて特別なことをしない」のは、皆さんのお人柄を見てると「ぽいな」って気もしていて…。
土屋さん: そんな人たちです(笑)。「打ち上げようぜ」みたいなのはないですね。数字がどうだとか、「やるぜ!」みたいな感じもあんまりないから。
赤松さん: 10周年で「大きな点」を打つというよりは、歴代の「線」をみんなで振り返りながら、大事なことを確認したという感じです。大きい「10年」をピンで打つのではなく、「今後もこういうことやっていきたいよね、だから10年目もこうだよね」と話し合いました。

「終わり方」を見つめた先に見えた、次のまちの姿
——昨年のお話では、皆さんから「終わり方」という言葉が出ていました。別々に伺ったにもかかわらず、同じキーワードが出てきたことが印象的でしたが…。
藤枝さん: ふふ(笑)。みんな勝手に「終わり方」を話すっていうね。とんでもないことですよ。

藤枝さん:でも、終わらせることが正解じゃない感じもあって。やっぱり一回、終わらないまでも「生まれ変わり」的なものは必要なんだろうな、という気持ちはあります。
たぶん今まで「新しいことをやろうとしているだけ」でやってきていたことを、今は「どう繋いでいくか」って段階なんだろうな、と。
土屋さん:ただ、答えを出すものでもないかな、とも正直思っていて。去年はちょっとシリアスな雰囲気がありましたけど、10年やってみて「先をあまり考えなくていいかな」って気持ちに自然と変わりました。求められる限りは、皆と話しながらやっていこうかな、と。
——では、継続していく方向で?
赤松さん: もちろん。
ただ、あくまで今のハタフェスは富士吉田市の事業なので、僕たちだけの気持ちではなく、市役所の予算が継続することや地域の皆さんが応援してくだされば、という条件はついてしまいます。

赤松さん:継続するとしても、今までやってきたことをそのままやればいいわけではないとも感じています。
5〜6年前までは、人が集まり、素敵な出店者さんが集まるようなイベントがこのまちにすごく必要だと思ってたんです。
でも今は、インバウンドでたくさん人が来ているし、お客さんも日常の中で来てくれるようになりました。だからこそ「今のまちにとってハタフェスの役割が何なのか」と改めて考える必要があるのではと考えています。
10年前は、「富士吉田がこうなったらいいよね」という理想の風景を、ハタフェスとして形にできていたと思うのですが、今のまちにとっての次の姿が、単にイベントを開催することなのかというと、少し違うのではないかとも思っていて。
その時々のまちの状態に合わせて、やるべきことが変わっていくと思っています。
1年の中のたった2日間のハタフェスだからこそ、残りの363日にどう影響できるかはずっと考えてきました。363日の街の日常に変化が起きてるからこそ、ハタフェスの2日間も合わせて良い変化をし続けていきたいと思っています。
——「次のまちの姿」とは、例えばどんなイメージでしょうか?
赤松さん: 例えば、もっと機屋さんたちそれぞれが、個性のあるチャレンジをハタフェスで実験してみるとか。初期のころは、工場見学ツアーとかもやってたんですよね。

イベントをきっかけに、工場を開いたり、新しい生地をお披露目したり、たくさんの人の目に触れて、声が聞けるハタフェスを「変化を試す場」として使ってもらえるといいなと思っています。
今のハタフェスは、「人が集まる」「素敵な出店者がいる」という意味で、満足度の高いイベントになっています。「楽しい」「心地いい」「みんな楽しそう」と感じてもらえる場にはなっている。
それ自体は最高なんですけど、その一方で、次のステップに踏み出すためのきっかけとしての役割が、少し薄れてきているのではないかとも感じています。みんなの中に「ハタフェスの型」ができてきたとも言えるかもしれません。
今振り返ると、1〜3年目くらいの企画は、かなり挑戦的で面白かったなと思います。「これ行きたいな」と自分でも思いますね。
——たしかに。初回にお邪魔した時、圧倒的にギークな感じがして、尖っているなと思ったんです。工場見学ツアーも「こんなところまで見せちゃうんだ」って。(カメラマン市岡)

赤松さん:初期のハタフェスは実績をつくる段階だったので、自分たちがやりたいことの「質」を突き詰めることができたんです。
ただ、年々来場者数が増えていくと、どうしても「量」に対応するイベントになっていきます。そうすると、尖った企画は実現しづらくなっていく。
本来みんなが持ち寄っていたような、「自分たちの日常の延長にあるチャレンジが集まるイベント」を改めて目指していけるといいなと思ってます。
機屋さんにとっての日常は、「工場で織ること」です。
その日常の仕事の先にハタフェスをどう使っていただけるのか。機屋さんだけでなく、商店街のお店でも同じです。それぞれの立場やモチベーションに、きちんと届く形にしていきたい。
今は「いち出店者」という関係になっている部分もありますが、もう少し日常と結びついた関係にしていけたらと思っています。
それぞれが考える、富士吉田のこれから
——他にも「こういうことをやっていきたい」というのは、みなさんの中にあるのでしょうか?
勝俣さん: 私はデザインやクリエイターの人たちが集まってくると、まちが面白くなっていくな、といろんな地域をみて思っています。

勝俣さん: 2010年頃は生涯学習課のスポーツ担当として、富士登山競走などのイベント運営に携わっていました。多くの人が訪れ、地域に賑わいを生み出す重要な取組である一方で、その効果をまちの継続的な魅力向上へとつなげていくことに、さらに可能性があるのではないかと感じていました。
現在は富士山課でハタオリマチフェスティバルを担当する中で、クリエイターやデザインに関わる人たちが持つ、その土地に何かを残そうとする想いや力に可能性を感じています。
そうした人たちが集まり、このまちの魅力が多くの人に伝わることで、まちもまた魅力ある方向へと進んでいくのではないかと考えています。

藤枝さん: ハタフェスのあり方としては、テキスタイルだけをメインにするのではなく、飲食やクラフト等と並ぶかたちで、富士吉田らしくやれるあり方を今後は探っていくべきだと思っています。
これまで「繊維産地に希望を与えるモデルケースになればいいな」と思って取り組んできましたが、ありがたいことに共感してくれる方々が少しずつ増えてきて、ムーブメントが生まれてきているのを感じます。

藤枝さん:ハタフェスは屋外出店が多いのですが、テキスタイルとの相性もあり、近年は屋内エリアを徐々に増やしてきました。ただ、そのスペースにも限りがあり、「出たい」と言ってくださる方が増える一方で、受け入れられる枠が足りなくなってきているのが現状です。
そうした中で次のステップを考えたとき、さらに「新しさ」を追い続けることが、自分たちにとって本当に必要なのかというと、ちょっと違う気もしています。
これからは、「山梨だからできること」「富士吉田だからこそ生まれるもの」を、もう一度見つめ直す。それが今考えている方向性です。

土屋さん:今年は色んなイベントにハタフェスとして出向いたんですよ。京都や長野、台湾にも行きました。
ハタフェスとして、産地同士のコラボレーションを進めていて、こちらに来てもらったり、自分たちも出向いたりしています。
こうした仲間を増やしながら、街と街で交流していくことは、この活動を続けているからこそできることだと思いますし、自分たちにとっても、街にとっても意味があると感じています。10年目は結構それを頑張っていて、大変だったけどすごく良かったです。
実際に現地に行ってみると、同じ課題を抱えている地域もあれば、まったく違う取り組みをしているところもある。そこで活動している人の現場を見たり、逆にこちらを見てもらったりする中で、「自分たちならどうするか」と考えるきっかけにもなっています。「これは山梨ではできていないな」とか、「次はこれをやってみたい」と思うことも多いですね。

土屋さん:僕自身はローカルエリアを担当しているので、いろんな地域の活動を見ると純粋に刺激を受けますし、感じ方も変わります。そうした経験が、ハタフェスの表現にも少しずつ影響していると思います。
やっぱり現場に行くと見えるものが違うんですよね。話を聞くだけでは分からないことがある。そういうものを吸収していかないと、イベントとしても単調になってしまう。いろんなイベントを見に行くことはとても大事だと感じています。

土屋さん: でも、イベントは「生き物みたいなもの」でいいかなって、任せてる感じもあります。正直僕らもわかんないし(笑)。
ハタフェスは街を使ってイベントやってるけど、全然見えてないとこいっぱいありますからね。「こんなことが起きていたんだ」と後から知ることも多くて、すべてを把握しきれないです。
ただ、続けていく中で、人の気持ちや街の関わり方には確実に変化が生まれています。
「オシャレすぎて行けません」とこれまで距離を感じていた人が自然と来てくれるようになったり、気づけば海外からの来訪者が増えていたり。意図していなかった変化も、この街では起きていく。富士吉田は、そうした変化を受け入れる懐の深さがあるのかもしれません。
それが富士山のお膝元だからなのか、街そのものの特性なのか分かりませんが、初回や2回目を振り返っても、全然こんな風になるなんて想像してませんでした。

土屋さん:だからこそ、「先のことを考えすぎてもな」と思うようにもなりました。
昔はこんな風に考えてなかったし、もっと「自分たちも楽しめる何かをまちに反映させよう!」ぐらいの感覚だったんです。
「ハタフェスはまちのためにある」という想いはみんな共通していますし、そのことが結果的に自分たちにも返ってきていると感じています。
まちって「つくるもの」じゃなくて「つくられるもの」なので。別に僕らがつくってるはずないし、何かのきっかけで生まれたものがまちの中で反映されていくのだと思っています。
「まちづくりを頑張ってますね」と言われることもありますが、そんな気負いはなく、まちの人たちや自分たちが楽しめることを増やしているだけなんです。
ただ、その「楽しい」や「うれしい」という感覚は、少しずつ周りにも広がっていく。
そうやって、いろんな出来事や関係が重なっていった先に、また新しい何かが生まれていくのではないかと思っています。

——土屋さん、藤枝さん、赤松さん、勝俣さん、ありがとうございました!
「終わり方」を聞いてから1年。
あのとき、どこか険しさや寂しさをにじませながら語っていたみなさんは、今回の取材では穏やかな表情を見せていました。
その変化の背景には、この1年の間に、これまで関わってきた人たちへの感謝や、これからのあり方を見つめ直してきた「対話」と「選択」の積み重ねがあったのだろうと感じます。
それぞれが異なる立場から「このまちのこれから」を考え、様々なアイデアを持ちながらも、自然と同じ方向を向いている。その関係性そのものが、このまちのあり方を象徴しているようにも感じました。
きっとこれからも、まるで生き物のように。ゆっくりと形を変えながら、誰かの挑戦を受け入れ、また次の誰かへとつながっていく。
ハタフェスもまた、その流れの中で、すでに日常の中にとけ込みはじめているのだと思います。
これからどのような展開が生まれていくのか、富士吉田のファンとして楽しみにしています!
(text:前田恵莉、photo:市岡祐次郎)
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