長崎の海には日本の近代化に必要なものが揃っていた! 軍艦島ツアー水上編

軍艦島イメージ

今日の見学は長崎県の軍艦島!

さるく号
軍艦島ツアーのクルーザー「さるく号」
今日はシーマン商会さんの「さるく号」にお世話になります。
定員45人乗りの少人数乗りの船だけどその分とっても丁寧に説明してくれます。

行ってきます!
ザ・快晴!!絶好の見学日和です。出発は長崎港の常盤2号桟橋から。
船長の小西さん、今日はよろしくお願いします。
ちなみに小西さんのお住まいは南島原市で毎日通勤2時間!現在の車の走行距離は32万キロ、まだまだがんばっています!
高校時代、カヌーで国体および全国大会出場。優勝1回、準優勝1回。趣味はカラオケです。

さるく号船内
今日は平日なのに満員御礼です。なかなか予約を取るのが難しい人気のツアーの証です。

ガイドの峰さん
ガイドの峰さん!作曲が趣味の苦みばしった海の男。
さるく号の名物ガイドとして、軍艦島を案内しています。軍艦島を世界遺産にする会というNPOの会員でもあります。今日はよろしくお願いします!

三菱重工長崎造船所
造船の街、長崎の象徴「ジャイアント・カンチレバークレーン」
出発してしばらくすると大きなクレーンが見えてきました。これは三菱重工の長崎造船所のドック。日本初の艦船修理工場で、「徳川幕府 長崎鎔鉄所」として1857年(安政4年)に設立されました。150年以上前に建てられた造船所。奥には三菱のスリーダイヤが見えます。
日本海軍が世界に誇った超巨大戦艦、あの「武蔵」が作られた造船所!
今も多くの船が作られていて、バリバリ現役。建設中の船を見ることもできますよ。
1909年にできたジャイアント・カンチレバークレーンも見ることができます。高さが62m、クレーン腕の長さは73mもあります。
このクレーンは8月9日の原爆投下により被害を受けましたが、昭和36年(1961年)に現在の場所に移設。船舶のエンジンやプロペラ、船用ボイラーや艤装や積み出しなど現在も稼働しています。海上自衛隊の自衛艦も作られていて造船タウン「長崎」の象徴です。

小菅造船所(そろばんドック)
左手の対岸には、船の修理工場「小菅修船所」が見えます。幕末に諸外国に開港した長崎港も、船体を修理や整備をするためのドックはまだありませんでした。そこで明治元年、自然の地形である入り江を利用したこの場所にドックが作られます。

満潮時に船を滑り台に乗せ、曳揚げ小屋内に設置された装置と蒸気機関で曵き揚げ、この状態で船底を修理・整備するという仕組みで、明治初期の最新の技術。船を載せる台がソロバン状に見えたため、ソロバンドックの通称で親しまれています。

このドック建設に関わったのが、グラバー園や坂本龍馬と交わったりしたことで有名な英国商人のトーマス・グラバー。このドックは、日本の造船史の中で現存する最古の遺構で、軍艦島などとともに九州山口近代化産業遺産の一つとなっています。
こちらも船の町長崎の象徴のひとつ。

三菱重工香焼工場(100万トンドック)全景
100万トンドック
目を左に移すと、でっかい門みたいなのが見えてきます。三菱重工香焼工場(こうやぎこうじょう)、通称100万トンドック。三菱重工最大級の工場でもあり、世界最大のドック。
3基見えるアーチ型クレーン。このクレーンの中には国会議事堂がすっぽり入ります。

三菱重工香焼工場(100万トンドック)
クレーンの真ん中にある三菱のマークだけでもテニスコート1面がおさまってしまうというびっくりの大きさ。12万5千トン豪華客船の一番船が奥の方で建造されています。

長崎造船所(三菱)第二ドックと護衛艦
手前に見える「115」の番号がついている船は、護衛艦「あきづき」、その奥には建造中の豪華客船が見えます。

長崎造船所(三菱)第二ドック
視線を右に移すと、同じく長崎造船所のドック。
この長崎造船所第二ドックは戦艦・武蔵を建造したクレーンの一部が今も残っています。

女神大橋全景
「斜張橋」(しゃちょうきょう)
この橋の名前は女神大橋。別名「ヴィーナスウィング」。長崎市内の渋滞緩和と長崎港の両岸に分散している港湾施設同士をつなぐことを目的に建設されました。大型の客船が湾内に出入りするので、水面から非常に高くなっています。二つの塔から斜めに張ったケーブルを橋げたにつなぎ支える斜張橋(しゃちょうきょう)の構造を採用。
ガイドの峰さんも「平社員でも渡れるしゃちょう橋、ガハハ!」とトークも軽快!
峰さんトーク

女神大橋をくぐる橋をくぐると、右手には皇后島(通称ねずみしま)が見えてきます。
現在は埋め立てられて陸続きになって遊泳場も閉鎖されてしまっていますが、昔の子供はみんなだいたい毎年夏休みにはこのねずみ島で泳ぎ方を習ったんだそうですよ。
この島はグラバーさん(坂本龍馬と取引したり匿ったりしたあの人)が日本ではじめてパーティーをした場所でもあります。

高鉾島三角の島が見えてきた。
橋をくぐってしばらくすると三角の島が見えてきます。名前は高鉾島。
かつて異国からの貿易船は、この島を長崎港に入る際の目印としていました。
禁教令が出されていた江戸時代、長崎には隠れキリシタンたちが身を潜めていました。しかし、ここで多くの信徒が殉教し、その遺体が島の断崖絶壁から、海に投げ込まれたという悲しい歴史がある島です。江戸時代の長崎は全国一弾圧が厳しいところでした。

岬のマリア様
神ノ島と隠れキリシタン
1960年代に埋め立てられました神ノ島(かみのしま)は今は半島になっていますが、実はこちらも元ははなれた島。幕末、大浦天主堂でプティジャン神父による隠れキリシタンが発見されましたが、この神ノ島でも多くの潜伏していたキリシタンが発見されました。海から見える白い教会とマリア像が有名。こちらでは「岬のマリア様」と呼ばれ親しまれています。

伊王島現在はリゾート地として賑わっている伊王島も、かつては炭鉱の島として栄えました。
海底炭鉱が発見され、黒ダイヤの町として栄えましたが、エネルギー革命で1972年(昭和47年)に閉山するまで、人口は7,000人以上だったこともありました。
今は、女性に人気のリゾートの島に生まれ変わっています。

伊王島大橋最初に通行したのはイノシシ
2011年に120億円かけて開通した伊王島大橋。伊王島町沖島と長崎県香焼島を結んでいます。この橋の通行料は無料。でも最初に橋を渡ったのはイノシシだったんだそうですよ!

中ノ島
軍艦島のお隣の島「中ノ島」
出航して30分ほど外海に出ると、波もだんだん高くなってきます。このあたりの海は、運がよければイルカの群れに出逢えるんだそうです。この日はいなかったな、残念。
奥に目指す軍艦島(端島)がみえてきました。

右の手前に見えるのは中ノ島。軍艦島と同じ炭鉱の島で、明治17年(1884年)に三菱が買収し操業がスタートしましたが、明治26年(1893年)に操業を停止。現在でも操業の跡をしのばせる遺構が残っています。
いろんな施設が充実していたけれども、実は火葬場とお墓だけがなかった軍艦島。そこでこの中ノ島で、郷里のない仏さまが火葬場で荼毘にふされ埋葬されました。

軍艦島が見えてきたぞ
パシャパシャパシャパシャ
軍艦島が見えてきたぞ!
乗客の皆さんも、身を乗り出しシャッターの音が激しくなります。

軍鹿島目の前軍艦島です。
船は軍艦島の全体が見えるように大きく島の外周を回ってくれます。

本名は「端島(はしま)」と言います。
軍艦島の通称が使われ始めたのは大正時代頃。日本海軍の戦艦「土佐」に似ているとして「軍艦島」と呼ばれはじめました。

軍艦島に近づくその1
さらにぐるーっと周り、軍艦島がまぢかに迫ってきます。

軍艦島に近づくその2
近づいてきた近づいてきた。

接岸準備
接岸の準備
さらにぐる〜っと回って、軍艦島の玄関口ドルフィン桟橋へ。船員さんたちの動きも慌しくなり、接岸の準備に入ります。

軍艦島護岸
接岸
もともと石垣が積まれたような岸壁だった軍艦島。かつてはいく度かの台風によってコンクリートごと根こそぎ吹き飛ばされて流出してしまったこともありました。

軍艦島
桟橋に近づきます
軍艦島ツアーでの上陸地点はドルフィン桟橋と決まっていて、数社あるツアー会社の船はすべてここから上陸することになっています。

いよいよ上陸
いよいよ上陸。

軍艦島上陸
上陸すると時が止まったかのような静けさ。目の前に広がる建造物の存在感に圧倒されます…

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日本の端っこ、長崎には造船そして炭鉱と近代化の原動力となるものが揃っていました。
軍艦島に上陸するまでにもいろいろと勉強!

軍艦島上陸後の島内見学の様子は「日本近代化の島、炭鉱の島、去っていった島 軍艦島の産業遺構編」でご覧ください!

【詳細情報】

軍艦島ツアー(株式会社シーマン商会)

電話番号:095-818-1105
予約受付時間:8:00~20:00
住所:長崎県長崎市旭町27番26号
アクセス・乗り場: http://www.gunkanjima-tour.jp/tour/access.html
URL: http://www.gunkanjima-tour.jp/

(text:西村、photo:市岡)

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